諫山裕の仕事部屋〈blog〉
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2010年03月09日

 遅ればせながら『サマーウォーズ』をBlu-rayで観た。
 上映中には行けなかったため、Blu-rayの発売を待っていた。
 予約してあったので、発売日当日に届いて、すぐに見た。

サマーウォーズ [Blu-ray]
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 あらすじと背景は以下のサイトを。
映画『サマーウォーズ』 - シネマトゥデイ
ストーリー:天才的な数学力を持ちながらも内気な性格の小磯健二は、あこがれの先輩・夏希に頼まれ、長野にある彼女の田舎へ。そこで二人を待っていたのは、大勢の夏希の親せきたちだった。しかも、健二は夏希から「婚約者のふりをして」と頼まれ、親せきの面々に圧倒されながらも大役を務めることに……。


映画「サマーウォーズ」公式サイト

評判通りの映画だった。
これほど明るく、ポジティブな映画は久しぶりな気がする。


 映画館に観に行かなかったのは、いつも行く近場の映画館ではやっていなかったからだった。馴染みの映画館というのは重要で、映画館の環境、特に座席の座り心地を気にするからだ。
 過去、窮屈な座席で、お尻が痛くなり、辛い思いをしたことは何度もある。そういう映画館で観るのは、遠慮したいのだ。

 すでにレビューはあちこちで書かれているから、今さらではあるが、単純に面白かった(^^)。
 物語はシンプル。
 展開もストレート。
 終盤のAIとのバトルで、スパコンが登場したり米軍の秘匿回線をモニターできたりと、ハチャメチャなノリは突っ込みどころではあるが、盛り上がりに一役買っている。
 花札で戦うというのも意外性があったが、花札のルールを知らないのでいまいちなところはあったが……(^^;)

 しかしまぁ、物語の面白さの根幹は、あの家族像だろう。
 どこか懐かしく、古き良き時代。
 そういう意味では「となりのトトロ」にも似た雰囲気だ。
 陣内家ほどの豪邸ではないが、私の父方の祖父母の家が、山沿いにある田舎らしい家だった。藁葺きの大きな家で、広い土間と薪で焚くカマドがあり、鶏小屋や豚小屋、近くには水田とスイカなどを作っていた畑があった。近くには神社があり、裏山は冒険できる世界だった。
 子どもだった私には、まさに異世界。
 のちに古い家は取り壊されて、現代的な家に建て替えられてしまったのだが、あの古い家は残しておくべきだった。維持費が大変だったのだとは思うが。

 母方の祖父母の家は、海沿いにある小さな家だった。夏になると海水浴をかねて、よく泊まりに行ったものだ。
 父方の山と、母方の海。
 それはトトロの山と、ポニョの海の原体験に通じる。私はその両方の環境で育った。だから、都会育ちの妻とは、作品に対する見かたが違っている。
 同様に、大家族を知っている私と、それを知らない妻とは、『サマーウォーズ』に対する見かたも違っている。

 母方の祖父母の家には、年に5〜6回、母の姉弟の家族が集まり、大家族になっていた。
 母は4人姉弟で、それぞれの家族が集まると、総勢15人になった。
 飯時になると、15人がそろって大宴会だ。
 大人たちは酒を飲み交わし、子どもたちははしゃぎ回る。
 陣内家で繰り広げられた、あの食卓と同じような感じだ。

 中心にいるのは、祖父と祖母だ。
 『サマーウォーズ』を見ていて、祖母のことが思い出された。
 祖父母はすでに亡くなっているのだが、祖母に最後に会ったのは、祖父の葬式のときだった。私は東京に住んでいて、九州の田舎にはなかなか帰れなかったのだ。
 生きていた頃……
 あの大家族の雰囲気が好きだった。
 ばあちゃんの作る「おはぎ」が美味しかった。
 あの頃は、大家族が幸せな時間だった。
 しかし、祖母が亡くなると、大家族の求心力が失われてしまった。
 それぞれの家族は、めったに集まることがなくなり、分散してしまった。
 時代……というのも、あるのかもしれない。
 核家族化が進み、子どもの数も少なくなり、住環境的にも、大人数が集まりにくくなった。
 都会に住んでいると、余計にそう感じる。

 『サマーウォーズ』のおばあちゃんに、自分の祖母の姿を重ねていた。

 ばあちゃんがいた頃は、楽しかった……

 思い出すと、目が潤んでしまう。
 ああいう時代、ああいう家族のあり方というのは、もう再現できないのかもしれない。特に、都会では。
 少子化問題がなにかと取りざたされるが、問題の本質は家族のあり方だろうと思う。家族の単位が少なくなり、小家族になってしまったことが、少子化にもなっているように思う。

 『サマーウォーズ』の対局にあるのは、『エヴァンゲリオン』だろう。
 ベクトルが正反対だ。
 どちらも共感するが、それは心の二面性なのかもしれない。
 どっちの世界で生きたいかと問われると、答えに窮する。
 ただ、現実に生きている世界は、どちらでもない。

 話は関係ないが、話題になっている音楽で、
   『植村花菜 「トイレの神様」
 は、泣ける。
 おばあちゃんつながりだ。
 私は祖母の葬式には行けなかった。
 母は「来なくてもいい」といった。田舎に帰るのは、いろいろと大変だからだ。また、私が過剰に反応することを知っていたからだとも思う。
 私の記憶の中で、ばあちゃんは「あの頃」の姿のままだ。

 ばあちゃん……
 大好きでした。
 一緒に過ごした日々は、楽しかった。
 私のばあちゃんでいてくれて、ありがとう。
 ばあちゃんの「おはぎ」を、もう一度、食べたいです……

(08:21)

2010年03月07日

 昨晩、『イヴの時間 劇場版』を観てきた。
 都内では2館でしか上映されていないが、池袋テアトルダイヤに行った。
 初めての映画館だったが、ビルの地下にある小さな映画館だ。
 客席数は少ないものの、座席はゆったりしていて座り心地もよかった。
 スクリーンは小さいが、距離が近いので見た目の画面的には大きく感じる。

この映画はオススメだ!
なかなかの秀作である。


 上映館数が少ないことからも、それほどヒットはしないと考えられているのだろう。
 だが、

『サマーウォーズ』に比肩できる作品だといってもいい!

 あらすじや背景は、以下のサイトを参照。

映画『イヴの時間 劇場版』 - シネマトゥデイ
ストーリー:子どものころからアンドロイドを人間視することなく、便利な道具として利用してきた高校生のリクオは、ある日、自家用アンドロイド、サミィの行動ログに不審な文字列が刻まれていることに気づく。親友のマサキと共にログを頼りに喫茶店、イヴの時間を訪れたリクオは、人間とアンドロイドを区別しない店のルールに驚く。

 『サマーウォーズ』も、当初は上映館が少なかったが、ロングランになった。じつは上映中は観に行けなかった。ヒットしたとはいえ、上映館は限られていたためだ。Blu-rayを予約していて、つい先日観たばかり。
 『サマーウォーズ』のレビューも、近々書いておこう。

 さて、『イヴの時間 劇場版』である。

 ネット配信されているときには、観ていなかった。
 妻が「面白いよ」といっていたようなのだが、ほかのことに忙しくしていたこともあって、見る気力がなかった。
 映画も、妻が「観に行きたい」といったからだった。

 ロボットテーマもののSFだが、私はロボットテーマものが好きだ。
 自分でもロボットもののSF小説をいくつか書いている(同人誌で)。
 ロボットテーマは、「人とはなにか?」「意識とはなにか?」「感情とはなにか?」……といった、人間が持つ根源的なテーマを浮き彫りにする。
 現状のロボット技術は、動作的に生物や人間を模倣させる技術の方に主眼がある。それすらも人工的に作り出すことが難しいからだ。

 しかし、物語の中のロボットは、身体的な機能としては人間と同等かそれ以上。
 そこに「心」があるかどうかが、テーマのポイントになる。

 過去記事でロボットについての考察を書いたときにも触れたことだが……

 「心」とはなんなのか?
 「心」あるいは「意識」はどこで発生するのか?

 明確な答えは出ていないし、哲学的な問題でもある。
 私が思うに、

心とは相対的なもの

 ではないかということ。
 心は単独で存在し成立するものではなく、コミュニケーションを取る相手がいて、初めて形をとるのではないか?
 「我思う、ゆえに我あり」ともいうが、その「我」を規定し存在させているのは、他者の存在だ。
 自分という存在を、誰かに認めてもらわないと、存在していることを証明できない。

 その認めてくれる相手が、ロボットだったら?

 それがこの映画の問いかけだ。

 ロボット三原則なんていう古典的な要素を持ち出しているのには、ちょっと違和感はある。
 この三原則でロボットの基本行動を制約するのは、じつはとても難しい。
 作中でも、その穴の部分を指摘していたが、解釈が抽象的で数学のように答えがひとつにならない。
 つまり、ロジックでは計算できない原則にもなっているからだ。
 アジモフの三原則が、広く有名になったのは、それが極めてシンプルであることと、ロボット三原則といいつつも、じつのところ理想的な人間の三原則でもあったからだ。
 人が作り出すロボットに、人間の理想像を重ねているのだ。

 宗教では神は自分の姿に似せて人間を作ったとされる。
 その神は、世界を創造する一方で破壊もする。慈悲と同時に罰も下す。神に似せられたはずの人間は、素晴らしい一面と愚かな一面をあわせもっている。
 人間は自らの手で作る、自らに似せた存在のロボットに、神のような過ちを犯したくないのだ。
 それゆえの三原則だ。

 現実的なロボットが、この映画のような機能や感情を表現するようになるのは、まだまだ遠い未来だろう。
 それでもロボットたちに感情移入してしまうのは、私たちに感情を投影する能力があるからだ。
 愛情……あるいは愛情に似たものを、対象物に投影して、そこに価値あるいは意義を感じる。
 そうすることで、自分と他者、自分と世界のつながりを確かなものにする。
 心とは、そうやって平穏と安定を保つ。

 ロボットでなくてもいいのだ。
 猫でも犬でもいい。
 うちの猫たちは、可愛らしいし、大切な存在だ。
 私たちは愛情を注いでいるが、猫にはそんなことは通じない。猫は猫で勝手にやってるだけだ。
 言葉が通じるわけではないし、意思の疎通なんてありはしない。
 だが、勝手に誤解することで、気持ちが通じているような錯覚をする。
 ある意味、バーチャルな関係だ。
 私たちは猫たちを我が子のように思っているが、猫は飯をくれる相手としか思っていないだろう。
 互いにいい意味での誤解で、いい関係になっている。

 愛情とは、良好な誤解が成立している状態だ。

 人間同士だろうか、相手がロボットだろうが、どんなに言葉を尽くしても、パーフェクトに理解し合うことなんてない。
 それが独立した個人の宿命だ。
 恋人同士が、何十回、何百回セックスしたって、愛情が深まりはするものの、同じ心を共有することはない。けっして、ひとつになれない。
 だから「都合よく誤解」することで、納得する。
 それを愛情という。

 ロボットと人間という、異質だが似ているもの同士が向きあったとき……
 心とはなにか?
 愛情とはなにか?
 この気持ちをどうしたのいいのか?
 そんなことが、顕著に見えてくる。

 そのことに気がつくことが、関係性の第一歩になる。

 気づき、考えること。
 家族のこと、友達のこと、恋人のこと、妻あるいは夫のこと、仲間たちのこと。
 人間同士で、どれだけ理解しようとしているのか?
 「イヴの時間」のような空間、本来の自分になれる時間が、少なくなっているような気がする。

 見終わったあと……
 ジーンと染みいるものがあった。
 この映画は、現代社会への問いかけでもあると思う。

(01:38)

2010年03月03日

 本日は、サッカー日本代表のバーレーン戦。
 試合開始時間には帰宅できないが、急いで帰れば後半は見られる計算。いちおう、HDDレコーダーで録画予約しているけどね。
 今晩の試合は、いろんな意味で分岐点だろう。
 はたして、どんな試合になるのか……

 と、スポーツ記事を読んでいて、思わず「ぷっ」と吹き出してしまった(^_^;

俊輔 本田に“ゲームメーク禁止令”(サッカー) − スポニチ Sponichi Annex ニュース
3日でW杯開幕まで、ちょうど100日。2人のレフティーを配置する新布陣が機能すれば、果てしなく遠いW杯4強の夢も少しは近づいてくる。

 下線は私がつけた。

そう、果てしなく遠い……

 誰もが思っていることを、きっぱりと書かれてしまうと、がっかりを通り越して笑ってしまう。
 いや、ジョークであってはならないのだ。
 笑ってはいけないのだ。

 だが……

 悲しいかな、期待感は限りなくゼロに近い。
 最大限のマイナスに振れてしまった期待感を裏切る、ウルトラ・サプライズが起これば、感激は数倍、数十倍かもしれない。
 そんな演出が待っているだろうか?

 それでもW杯は楽しみにしている。
 自国が勝ち上がることが最大の喜びではあるが、世界の強豪が対戦するサッカーが見られるだけでも楽しみなのだ。
 日本は、負けてもいいから点を取ってくれ。1点も取れずに負けるのだけは勘弁して欲しいと思う。
 そんな謙虚な思いで応援することになりそうだ。

 前日のインタビュー記事から……

スポーツナビ | サッカー|日本代表|バーレーン戦前日 岡田監督、中澤会見(1/2)
ーーこれまでの代表は前線に速い選手を並べていたが、昨日の練習では森本、平山がそこのポジションでプレーしていた。彼らの強さや高さを生かすことをイメージしているのか

 誤解を受けているようなんですが、速い選手を並べようと思って並べていたわけではなくて、全体の組み合わせの中で日本が攻守にわたって機能するのに、この選手がいいだろうという判断をしていましたし、高いから平山を呼んだわけでも、強いから森本を呼んだわけでもなくて、そういう得点感覚というものがチームに機能するだろうということで、今までも呼んでいます。特別僕は今回、変わったことをしたという意識は持っていません

 下線は私がつけた。
 う〜む……
 選手の特性を活かすのは常套手段だと思うのだけど?
 意識してない、というのが問題のような気がする。
 戦う相手によってどういう戦い方をするかというのが、選手起用の選択肢にもなるわけだから、先発がいつも同じなんてことは不自然だよね。
 常勝チームだったら、勝てるメンバーとして固定するのはわからないでもないが、そうではないのだから起用法は戦術にもなるだろう。
 選手が期待通りに機能するとは限らないが、戦い方の意図として誰をどこに使うか、というのはあると思うのだが……。
 今晩の先発はどうなることやら。
 そのメンバー次第でも、期待感は大きく違ってくる。

(11:33)

2010年03月02日

 ポリフェノールといえば、ワインやお茶をイメージする。
 だが、コーヒーの方がお茶よりも多く含まれているとか。
 健康にいいとされるポリフェノールだが、日本人は意外にもお茶よりもコーヒーから摂取しているという。
 そんな記事。

「コーヒーからポリフェノール 心だけでなく体も癒やす」:イザ!
◆お茶よりも多く

 飲み物100ミリリットル当たりに含まれるポリフェノールの量は、赤ワインが濃さによって150〜300ミリグラムで平均すると230ミリグラムほど。これに対してコーヒーには200ミリグラムのポリフェノールが含まれ、緑茶は115ミリグラム前後という。

(中略)

 近藤教授が9000人を対象にした飲み物の摂取量調査や109人を抽出した詳細な調査からポリフェノール摂取量を調べたところ、1日に取るポリフェノールのうち8割が飲み物からで、食べ物からは2割。さらに、飲み物から摂取しているポリフェノールの半分がコーヒーからによるものだった。

(中略)

 体内に摂取されたポリフェノールの働きは2時間程度で、4時間後には効果がなくなってしまうとされる。近藤教授は、朝食時▽午前10時▽昼食時▽午後3時▽夕食時−と習慣的に飲むお茶の時間について、「そう考えると昔の日本人はなかなか偉かった。実は知らないうちにポリフェノールを取っている。体で感じてお茶を飲むようになったのかな」と感嘆する。

 私は1日にコーヒーを5〜6杯は飲んでいると思う。
 会社にコーヒーサーバーがあり、ちびちびと飲みながら仕事している。もっとも、これには別の理由もあって、1日1食で、空腹感を紛らわせるために、コーヒーを流しこんでいる(^_^;
 胃が空っぽだと、腹がグーグーなっちゃうんだよね。水でもいいから胃の中に入れてないと、グーグーが止まらない。水では味気ないし、かといってジュースを買っていると出費が増える。で、タダで飲める会社支給のコーヒーを飲んでいるわけだ(^_^)。

 もともとコーヒー好きなのだが、基本はブラックだ。
 家で飲むときには、味付けにミルクを入れたりはするが。
 コーヒーにはカフェインも含まれていて、眠気覚ましの効果もあるとはされているが、飲み慣れてしまうとコーヒー程度のカフェインでは眠気覚ましにはならない。
 ともあれ、コーヒーからのポリフェノールは十分足りているようだ(^_^)。


(15:54)
 技術の進歩は、ときに飛躍的に向上するものだが、以下の記事はそれを予感させる。

フロリダ州立大学の研究者、超強力な暗号化チップの素材となる結晶を発見 : セキュリティ・マネジメント - Computerworld.jp
 米国フロリダ州立大学の研究者が、きわめて強力なセキュリティ・チップの開発につながる結晶を発見した。この結晶は、ストレージ・デバイスを飛躍的に大容量化する可能性もあるという。

(中略)

 また、この結晶を用いた新しいストレージ・メディアの開発が成功すれば、現在の1GBストレージ・コンポーネントと同等のサイズのデバイスに、エクサバイト(EB:10の18乗バイト)のデータを保存できる可能性がある。


なんと、エクサバイト!

 単位としては、ギガ<テラ<ペタ<エクサ……と1000倍ずつ増えていく。
 エクサバイトのデータなんて、容量を食う映像制作や音楽制作でも、個人では一生かかっても使い切れない気がする。
 エクサバイトのSSDなんて出てくる時代になったら、汎用CPUはペタフロップになっているのかもしれない。
 いや、量子コンピュータかも……(^_^;
 電脳世界はどんな世界になっているだろうか?

 ……と、そんな時代まで生きちゃいないかもね。

(15:00)

2010年03月01日

 「電子ブックは「作家直販」を可能にする」の続き。
 電子ブック時代は、確実にやってくるが、出版社が危惧しているのは「電子ブックは売れるのか?」ということらしい。
 その記事が以下。

【電子本の衝撃】揺れる出版界(下):電子書籍は売れるのか 期待と戸惑い - ITmedia News
 「著者と直接取引され、出版済みの書籍のデータだけ引き取られたら」と不安を口にする中小出版社の経営者も。アマゾンジャパンは「われわれには編集機能がないし、あくまで本屋なので、そういう直接取引をすることはない」と否定するが、市場が広がり他に電子書籍を販売する新規業者が続けば、杞憂(きゆう)が現実化する可能性も捨てきれない。

(中略)

 実際、コミックを除き、一般書の電子書籍は各社とも収益を上げられていないのが現状だ。ある出版社の担当者は「わが社でよく売れているのは官能小説やボーイズラブのたぐい。年間100万円ほどしか売り上げがない」と実情を明かす。

 書籍だけのことではなく、電子新聞でも同様の壁にぶつかる。

現状の「紙の本」の体裁を、そのまま電子ブックにしただけでは売れない。

 それだけは確か。
 なぜなら、メディアの特質がまったく違うからだ。
 DTPでは紙の印刷を前提としてレイアウトを組み体裁を整えるが、それをそのままPDFにしただけでは、ページを電子化しただけにすぎない。
 読みにくいのだ。

 一般的な単行本だと1冊で200ページ前後あるが、

電子ブックではページ数が多すぎる。

 また、日本語は縦組みの方が美しく組めるのだが、

縦組みの文字は、読みにくい。

 そして、

1ページの文字数も、多すぎる。

 小説を例に取れば、ライトノベル等の若い世代向けの本は、ページ数が少なくなり、1ページに入る文字数も少なくなった。
 文章の書き方も、改行を多く入れ、1行の長さも短くなり、描写も軽くなった。それがライトノベルの「軽さ」にもなった。
 さらに、ケータイ小説では、ますます文章は短く簡略化され、ケータイの小さな画面で見るのに適した形に変化した。

 電子ブックも、そのメディアに適した形に適応させる必要がある。

 ヒントになるのは、人気のあるメルマガだろう。
 数年前に比べると、たくさんあったメルマガ配信スタンドは淘汰され、4〜5サイトにまで減ってしまった。メルマガの人気は下り坂だが、人気のメルマガはまだまだ健在だ。
 無料のメルマガと連動した有料メルマガもあり、コアな購読者を獲得している。
 そのメルマガの情報量(文字数)は、書籍に比べれば、驚くほど少ない。1ヵ月の購読料が500円のメルマガの場合、1文字当たりの単価にすると、おおよそ0.0125円〜0.025円くらいになる。
 一方、紙の単行本だと、200ページで1ページ当たり600字くらいだとすると、12万字。価格が600円くらいだから、1文字当たりの単価は、0.005円だ。

0.025円 : 0.005円

 わかりにくい?
 小数点を省いて、25:5 あるいは、5:1
 つまり、5倍も高い。
 メルマガの場合には、週刊程度で小出しにする。雑誌の連載感覚ではあるが、文字量はずっと少ない。
 それでも購読者がいるのは、そのメルマガにしかない情報であり、その著者にしかない面白さだからだ。
 だから、買う。

 また、メルマガには本のような整った体裁はない。
 メールソフトの環境により、表示方法はバラバラ。基本は読めればいいという、アバウトなものだ。
 しかも、誤字脱字は珍しくないし、文章がちぐはぐだったり、構成も一貫性がなかったりする。
 だが、そんなことは気にならないのだ。
 それは、著者からのメールのようなものであり、荒削りな部分は著者の人柄や個性を感じさせるものにもなっている。
 つまり、著者と読者の距離感が近い。

 ぶっちゃけ、出版社や編集者が不在で、著作として不完全であっても、売れるものは売れるということだ。
 読者が求めているのは完成度ではない。

面白いものを読みたいのだ。

 なにが面白いか……というのが問題になるが、上記の記事で「よく売れているのは官能小説やボーイズラブのたぐい」というのは、象徴的だ。
 これは小説に限ったことではなく、DVDやゲームにもいえること。新しいメディアが登場したときに、最初にブレークするのは恋愛系やエロ系なのだ。
 だが、市場が成熟してくると、エロばかりでは飽きられてしまう。嗜好が多様化してきて、ほかのジャンルでも売れるものが出てくる。

 電子ブックの方向性としては、
(1)単価は安く(1冊あたり)
(2)情報量は少なく
(3)短時間で読める
(4)発行はこまめに
(5)作家との距離感を縮める
(6)インタラクティブな要素を加える(Twitterとの連動など)
 ……といったところだろう。
 つまりは、今までの出版の常識とは正反対に近い。
 出版社が介在しなくても、作家個人でも可能なことである。
 極端な話、400字ずつ、毎日配信して、月額500円でも買う人はいるだろう。それで面白くて、続きが楽しみならば、高いとは思わない。
 面白さに対する価値観は、変わってきていると思う。

(17:10)

2010年02月26日

 「日本語版iBooksの可能性は?」で書いたことに関連した記事があった。

【電子本の衝撃】揺れる出版界(中):出版社を通さない“作家直販” 契約は、編集はどうなる - ITmedia News
 ベストセラーコミック「海猿」「ブラックジャックによろしく」などの作品で知られる漫画家の佐藤秀峰さんは昨年9月、自身のウェブサイトで作品の有料配信を始めた。佐藤さんのサイトによると、開始初日には10万円ほどの売り上げがあったという。

(中略)

 作家個人が出版社を介さず、作品を読者に直接インターネット上で有料配信するのは異例の取り組み。

 しかし、電子書籍をめぐる環境が整備されていけば、プロやアマを問わず、著作者の新たな発表の場の確保につながる可能性はある。
(中略)

 不安の種は、欧米と比べ著者と出版社の契約が明確ではない点にある。業界団体の日本書籍出版協会は出版契約書のひな型を作成しているが、慣例として今も「口約束」で済ますケースもあるという。電子書籍化や販売に対する具体的な取り決めが交わされていることは多くない。利益配分や著作権上のトラブルが起こる可能性もあるからだ。

 出版社は作家が作品を発表し、販売する窓口として、出版にかかる費用や流通手段を提供してきた。作家を発掘し、育てる、というサポート面も担ってきた。
 だが、その枠組みや役割が変わりつつある。
 かつて、作家と編集者が二人三脚でヒット作を生み出したりもしたが、それも過去の伝説になりつつある。
 編集者がダイアの原石である作家を発掘するのではなく、すでに同人誌やネットで一定のファンを獲得した作家をスカウトすることが多くなった。レベル1から育てるのではなく、レベル7〜8くらいの能力を身につけた作家をメジャーな世界に引き入れるような感じだ。
 編集者の苦労は減るのだろう。ほぼ熟達した作家を、メジャー市場で売り出すためのプロデュースをするだけでいいわけだ。
 すべてがそうではないが、そういう例が目立つ。

 個人の作家でも、メジャー市場で作品を売るための手段と環境があれば、出版社は不要になる。
 電子ブックはそれを技術的に可能にする。
 現状でも、その方法はある……というのが、前述の記事だ。
 ただ、市場として成熟はしていないので、無名の新人でも売れるわけではない。
 それでも有料メルマガなどで、月に数万〜数十万くらいの売上げを上げることは可能だ。
 一例として、有料メルマガサイトの「まぐまぐ・有料版(恋愛・結婚カテゴリ)」を見ればわかるが、そこのベスト10に入っているメルマガは、出版社経由のプロ作家ではない。
 ここの第1位と第10位では、売上げが桁違い(実数を知っているが内緒(^_^))ではあるが、専業プロでなくても、そこそこ稼げるのだ。ちなみに、売れているカテゴリは、恋愛系、経済系、教育系だ。
 まぐまぐは著作内容に対して、口出しはしないし、出版社が作家と関わるような関係ではない。
 著作を販売する場を提供しているだけだ。
 どんな著作が売れるか、どうすれば売上げを伸ばせるか、読者は何を求めているか……といったことは、著作者自身が考えることである。
 これは従来は出版社が担っていた役割だ。
 それを中抜きして、作家自らがやればいいだけのこと。
 まぐまぐ・有料版の著作者の取り分は、価格の6割である。少ない部数でも、そこそこお金になるのは、この印税率にある。

 出版社は来るべき電子ブック時代に、その存在意義が問われていると思う。



(15:25)

2010年02月25日

 今朝の通勤電車でのこと。
 埼京線で池袋から新宿に向かう電車に乗っていた。
 混雑がひどい埼京線だが、このときは超満員というわけではなく、かろうじて前後左右の人と接触しない程度の混み具合だった。

 iPodでイヤホンをしていたのだが、高田馬場あたりを通過中に、いきなり隣の人がぶつかってきた。
 電車が揺れたのかと思ったが、そういうわけではなかった。
 周囲がざわつく……

 ふと、視線を下に落とすと、やや頭の禿げた中年男性が仰向けに倒れていた。

え? え? なんだ??

 周りの人たちも、なにが起こったのかわからず、動転している。
 倒れた男性は、口をパクパクさせて、体を震わせていた。

 どうする?
 どうすればいいんだ?
 急患か?
 非常ボタンはどこだ?
 しかし、手の届くところに非常ボタンはなかった。

 なにかをしようにも、なにができるかわからない。
 ギュウ詰めではないものの、混んだ車内だ。屈むこともままならない。
 誰も手を出せないでいると……

男性はむっくりと起き上がった。

 そして、なにごともなかったかのように、ドア前に立ち、外を眺めている……

 はぁ?
 なんなんだ?

 電車が新宿に到着すると、かの男性はそそくさと下車して、人混みの中に消えていった。

 倒れたときは、それが心臓発作、酔っぱらい、失神、脳梗塞……なのか、判断しようがない。
 自力で起き上がったこと、一時的に痙攣していたことから、おそらく「てんかん」だと思われる。
 当人は倒れたことに自覚があったのだろうか?
 だとしたら、なにか言い訳のひとつもいってほしかったものだ。
 一瞬、車内が小さなパニックになったのだから。

(11:20)

2010年02月24日

 ネット上では、匿名が前提になっている。
 匿名には利点と欠点があるが、そもそもなぜ匿名になったのかは、黎明期の寛容な良心が原点だともいえる。
 しかし、ネット人口が爆発的に増えると、良心の呵責など意に介さない人の数も増えた。比率としては変わらなくても、母数が増えているから、匿名であることを悪用する人は増える。
 かといって、実名でも、その傾向は少なくなりはするだろうが、ゼロにはならない。それは実社会で犯罪が起こることと変わりはない。

 そんな匿名と実名についての調査記事。

やっぱりネットでは「実名使わない」が7割〜個人情報が出るのが怖い:RBB NAVi (ブロードバンドコンテンツ 検索サービス) 2010/02/24
 ネット上で匿名を使用する理由については、「ネット上に個人情報が出るのは怖い」が64.0%ともっとも多く、ついで「立場を気にせず気軽に発言したい」44.0%、「自分の名前を悪用されると困る」37.3%、「自分の好きな名前を使いたい」が36.4%となった。男女別にみると、女性は「友人や知人に発言内容を知られたくない」「ネット上に個人情報が出るのは怖い」「自分の好きな名前を使いたい」という選択肢について、回答の割合がそれぞれ男性よりも約10%多く、傾向に違いが見られた。

 ネット上で実名を使用する理由については、「実名の方が説得力がある」が43.6%ともっとも多く、ついで「友人や知人にも発言内容を知らせたい」25.8%、「自分の発言に責任を持ちたい」が20.6%となった。

 実名と匿名を、第三者が識別できないから、実質的な違いは少ないと思う。
 前にも書いたが、ネットユーザーひとりひとりに、固有のIDでも付与しない限り、実名が本物か、それが本人なのかといったことの証明の根拠がない。
 Twitterで偽物が本物のごとく発言することが、まかり通ってしまうというように、真偽を確かめようがない。

 匿名だと実名ではできないようなこと、やらないようなことができてしまうというのも、不思議な心理だ。
 おそらく、そういう人は、実社会では小心者で、鬱屈した人格なのだろう。匿名という仮面を被ることで、良心や良識を無視できるのかもしれない。
 それを「自由」と呼ぶのか、「暴挙」と呼ぶのか……。

 私のマイナーなブログですら、ときどき暴言のコメントを残していく人がいる。
 コメントは承認制なので、即座に公開されるわけではない。
 バカなコメントは非公開で破棄する。
 先日もそんなコメントが残されていた。
 それはまるで、電車の中で糞を残していくようなものだ。
 彼(文面から、たぶん男)は、良識をどこに捨ててきたんだろうと思った。
 サーバーに残されたアクセス記録から、IPアドレスがわかる。調べてみると、彼はプロバイダに「hi-ho」を利用し、アクセスポイントは愛知県であるらしいことがわかった。
 ここまでは簡単にわかる。その先は、プロバイダにあるアクセス記録から辿ると個人を特定できるわけだが、普通は警察などの捜査令状がないと公開されない。
 悪質な書き込みの場合には、プロバイダに苦情を申し立てると、該当者に警告を発してくれることもある。掲示板サイトを運営している関係上、過去に何度もそういう事態に遭遇し、警告を発してもらったことがある。
 匿名は良心・良識があれば便利ではあるが、悪意があると困った問題になる。

(17:06)

2010年02月23日

 日本では本格的な有料の「電子新聞」を導入する日経だが……
 果たして、その成功の青写真は実現するだろうか?

「電子新聞」に賭ける日経社長の成長戦略:FACTA online
こうした縮小均衡を打開するのが、3月創刊の電子版だ。既存の無料ネットサイト「NIKKEI NET」を「日経電子版」に衣替えし、日経本紙の記事はもちろん、紙にはない情報、機能を付加する。最新ニュースや解説記事が24時間、パソコンや携帯電話で読めるうえ、日経BP、QUICKなど日経グループの専門情報や海外有力紙のコラムも提供。記事や専門用語、人事情報の検索、記事の保存などもできる。購読料は電子版単独で月4千円、紙の新聞(約4300円)と併読の場合はプラス1千円と決まった。「高望みはせず、まず足場をしっかり固めたい」(喜多社長)。紙を守りながら、電子をじっくり伸ばす二正面作戦だ。

 う〜む……
 これ、たぶん成功しないと思う。
 第一に購読料が高すぎ。
 実物の紙の新聞が4300円で、紙代・印刷代・配送料などの物理的なコストがかからない電子版がたった300円引きというのは、納得がいかない。
 感覚的には、500円くらいが妥当な気がする。
 月額500円というのは、有料のメルマガ等で中心的な価格だ。そのくらいなら、出してもいいという価格。
 情報量に対する価格ではなく、読みたいかどうかの好奇心に対する価格である。
 10000字のメルマガと、その数倍から数十倍はあるだろう新聞の情報量とを比較して、払ってもいい価格を判断しているわけではない。
 欲しい情報は、その中のわずかだ。ミカンを1個ずつ買うのと、箱買いするときの感覚とは違うのだ。

 また、新聞社は重要な視点が抜けている気がする。
 ネット上の情報は、すべて対等だということ。
 大手新聞社だろうが個人のブログだろうが、読者にとっては対等な情報価値である。
 ネットの大海の中の、一滴あるいは数滴のしずくにすぎない。
 価値の優劣は、ユーザーの好奇心を満たすかどうかだ。
 それに対価を払うかどうか、である。
 真偽入り乱れた雑多な情報が飛び交うネットの中では、新聞社の発信する情報も、その一部でしかない。日経にしかない情報があるとしても、それを求める人はわずかだろう。二次情報、三次情報は必ず出てくるから、それで間に合わせることは可能だし、それがネットの特質でもある。
 現状、無料の「NIKKEI NET」は、ちょくちょく見ているが、それが有料になって会員限定となれば、見なくなるだけ。見られなくても困らないからだ。
 無料だったものが有料になるというのは、大幅な値上げに相当する。交通機関や公共料金が値上げされたら、ほかに代替するものがないから払わざるをえないが、新聞の情報は必需品ではない。代替が可能な情報に、わざわざお金を払う人は少ないだろうと思う。

 電子新聞の購読料という課金システムは、ネットではうまく機能しない。
 なければ困る……という必要性が乏しいからだ。


(11:35)