諫山裕の仕事部屋〈blog〉

猫とSFと科学とMacintoshと写真とアートが好きなら……

グラフィックデザイン、写真、2D&3Dアートを生業とする諫山裕のブログ。タイトルバックの画像(写真 or CGイラスト)は、私の作品。

タイトルバックは、第27回東京湾大華火祭(2015年)の花火です。
コメント、トラックバックは承認制です。

「人生に、文学を。」 VS. 「人生に、アニメを。」

 面白ネタを。

日本文学振興会の広告「人生に、文学を。」が「アニメを馬鹿にしているのでは」と物議 意図を聞いた - ねとらぼ
 日本文学振興会による広告「人生に、文学を」に批判が寄せられています。「文学を知らなければ、どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)」という一文に、「まるでアニメには人生を想像する物が何も無いみたいな書き方」「アニメだって素晴らしい芸術でしょう」などの声がネットユーザーから上がっています。

(中略)

日本文学振興会にこの文章の意図について問い合わせたところ、アニメを差別、蔑視(べっし)する意図はまったくなく、それが目的ではないとのこと。「アニメが人生を想像する手立てになり得ないとは誰も思っていない」として、アニメだけでなく、別の長所や特徴を持つ小説もその手立てとしてあるということを伝えたかったとしています。

人生に、文学を。
人生に文学を

 意図が伝わらず、いらぬ誤解を招いているところが、この文章を書いたコピーライターとOKを出した日本文学振興会の浅はかさだね。
 どうやら、読者がどのように受けとめるかの「想像力」が足りなかったようだ。

 文学って、その程度のものなのか?

 という墓穴を掘ってしまった。
 差別、蔑視はなかったとしているが、挑発的ではある。本が売れない、特に文学が売れないという現状があるから、クールジャパンとしてもてはやされるアニメに対して、妬みはあるのかもしれない。
 かといって、アニメを引き合いに出す必要はなかったね。意図的ではないにしても、ケンカを売っているようにしか見えない。

 パロディとして、逆バージョンを作ってみた。

人生にアニメを

 ま、ものは言いようってことで(^_^)。

 私は小説も読むし、アニメも見る。
 どっちも好きだよ。
 小説が原作のアニメも多い。ただ、日本文学振興会のオジ様たちは、ライトノベルを「文学」とは認めてくれないのかもしれないけど。芥川賞・直木賞の候補にはならないからね。
 芥川賞・直木賞を取る作家はすごいとは思うが、その権威を水戸黄門の印籠のように振りかざすのは好きじゃないな。また、その賞を取らなければ売れないというのも、情けない話ではある。
 芥川賞・直木賞がベストセラーを生み出す、販促仕掛けになっていることが文学界の闇なのかもね。

「芸術」は人工知能の得意分野になる

 昨晩のNHK「クローズアップ現代」では、人工知能による「芸術」について取り上げていた。
 そこで問題提起されたのは、人工知能に芸術は作れるか?……ということだった。

進化する人工知能 ついに芸術まで!? - NHK クローズアップ現代+
ついに人工知能が芸術の世界にも進出!巨匠・レンブラントの筆致を見事なまでに再現した肖像画。わずか1秒で作られる交響曲。SFの名手・星新一から「らしさ」を学んだ小説は、文学賞の1次選考を通過した。しかし、人間の作品を真似た人工知能の芸術は『創造』と呼べるのか、疑問の声が上がる。一方、人間の『創造』も過去の作品のアレンジだ、という主張も。人工知能による芸術の最前線は、「創造とは何なのか」を問いかける。



 妻と一緒に番組を見ていたが、何度かツッコミを入れた(^_^)。

TV「人工知能に芸術は作れるのでしょうか?」

「芸術とはなにかを定義しなきゃ」

TV「人工知能が作ったものは創作といえるのでしょうか?」

「創作とはなにかを定義しなきゃ」

TV「独創性がないのではないか」

「独創性とはなにかを定義しなきゃ」

TV「感情があるかどうかが大きな違いなのでは?」

「感情とはなにかを定義しなきゃ」

 それぞれについて、人工知能を前提とした再定義をする必要がある。
 絵画、音楽、小説といった作品は、人間が作る場合でもルールとパターンに基づいている。ルールの範囲内で様々なパターンを組み合わせることで、個性や新しさを表現する。
 「創造」とはいうものの、無から生み出しているわけではなく、既存の作品に含まれるパターンを作家がそれぞれに抽出して、新しい組み合わせを試しているだけなのだ。その組み合わせは、わずかな違いを含めればほぼ無限通りが存在しえるので、「創造」しているかのように「錯覚」する。
 言い換えると、芸術とは「錯覚」でもある。

 芸術におけるルールとは……

 絵画では遠近法や光源による陰影、あるいは構図といった幾何学的なものになる。絵のタイプによっては、描き方のタッチも要素のひとつ。遠近法が発明されていなかった時代の絵画は、描かれる対象の距離感や大きさに不自然さがあった。目で見える世界には遠近法が存在しているが、絵画として表現するときの方法を知らなかった。遠近法が本格的に絵画に取り入れられるようになったのは、1400年代以降である。

 音楽のルールとは、リズムや和音、短調や長調、小節として区切られる旋律の集合体など、いろいろと細かい決めごとがある。心地よい音楽には、整然としたルールがある。
 そして、パターンの繰り返し(リピート)だ。
 リズムのリピート、同じ旋律を異なる楽器で奏でるリピート、印象的な旋律のリピートなど、音楽はある意味パターンのパズルでもある。
 人工知能にとって、模倣しやすい、作りやすい作品だ。
 人工知能以前から、自動作曲のアプリケーションはあったが、良し悪しは別にして音楽のルールに則った曲にはなっていた。音楽の良し悪しとは、人間が聞いて心地よいかどうかなので、心地よいパターンの組み合わせの法則がわかれば、「いい曲」というのは可能だろう。

 小説でのルールとは、文法や言葉の選び方、描写の仕方、ストーリーとしての起承転結、どういうストーリーにするかの展開方法などだ。
 これにもパターンがある。
 あるシーンを言葉で描写する場合、単刀直入に見たままを記述するか、別のものに例えて間接的・抽象的に記述するかの2通りしかない。
 たとえば、テーブルの上にあるリンゴを描写するとき。

テーブルの上の赤いリンゴ。

 と書くのか、

鮮血のようなリンゴがテーブルに座していた。

 と書くので、どっちが文学的か?……という違い。
 小説ではストレートな描写よりも、抽象的な描写が多く出てくるが、それはイメージのパターン化である。物理的なリンゴとしてのイメージだけでなく、観念的なイメージを付加してリンゴに対する意味合いを変える。そこにどんな言葉のパズルのピースを加えるかで、リンゴは文学的になる。

 人工知能ではないが、コンピュータで写真を画像加工することは簡単だ。
 『写真は「現実」そのものを写しているのではない』で使用したパプリカの写真をもとに、アート化してみるとこうなる。

▼オリジナルのパプリカの写真
パブリカ(オリジナル)

▼水彩画風のパプリカ
パプリカ(水彩)

▼油絵風のパプリカ
パブリカ(油絵)

▼鉛筆画風のパプリカ
パブリカ(鉛筆画)

 これらは、Photoshopの「Snap Art - Alien Skin Software」というプラグインを使用したもの。画面上でのシミュレーションではあるが、それっぽくアートになる。どういう筆遣いをするかは、アルゴリズムしだいなので、人工知能がより人間っぽく模倣することは容易い。
 それを芸術と呼ぶかどうかは、冒頭にも書いたように「芸術」の定義の問題なのだ。

 「人工知能(AI)が人間を超えるかどうか?」
 ということが、AIを語るときに必ずといっていいほど問われる。
 ある種の「人間絶対論」みたいな考え方があるようで、超えられることに対する恐怖感が内在している。
 だが、自動車が発明されて、人間より速く走れることを問題にしただろうか? 人間は飛べないが、飛行機が飛べることを問題にしただろうか?
 機械は人間にはできないことを可能にする「道具」である。
 コンピュータも、AIも同じ。ただの道具だ。
 前にも書いたが、AIを人工知能と訳していることが間違いの元。計算する機械でしかない。
 あたかもAIが人間のように人格を有していると、擬人化してしまうから混乱する。

関連記事→「知性の壁」は超えられるか?

 芸術は計算可能である。
 チェスや囲碁よりは、ルールもパターンも複雑ではあるが、有効な組み合わせは有限だ。人間が作る芸術は、無限にはほど遠く、かなり限定的なのだ。むしろ、AIの方が人間には思いつかない組み合わせを見つけられる。その結果生まれる作品が、人間の美意識を満たせるのなら、それが芸術になる。
 おそらく、芸術はAIの得意分野になる。
 誰が作ったのかが問題なのではなく、どんな作品なのかが問題なのだ。

ソニーのロボット再参入は「落ち穂拾い」か?

「知性の壁」は超えられるか?……に関連して。

 ソニーがロボット分野に再参入するというニュースが流れたのは、6月29日のこと。
 一部のソニーファンから、かつてのAIBOQRIOの再来を期待する声も上がっているが……
 私の感想は、
「なんで今さらロボットなんだ?」
 という、冷めたものだった。
 先見性のあったAIBOを切り捨て、コンピュータのVAIOも切り捨ててしまって、コアとなる技術者や技術がなくなっているのではないか?
 そういえば、PS3Cellプロセッサも捨てちゃった。スパコンを自作できるほど、可能性のあるプロセッサだったのに。
 PS4があるじゃないか……といっても、頭脳となるAPU(Accelerated Processing Unit)はAMD製だし、GDDR5 RAMはサムスン製で、組み立ては台湾のFoxconnが中心になっている。
 自前で新しいものを作れなくなっている現在のソニーに、革新的なロボットができるとは思えないんだ。
 
 「ソニーのロボット再参入は棘の道」とする記事が以下。

ソニーのロボット再参入は棘の道か:日経ビジネスオンライン
「やはりあの時、完全にロボットの研究開発をやめてしまったのは旧経営陣のミスだった、と今の経営陣が認めたということでしょうかね。『なぜAIBOやQRIOといったロボット事業から撤退してしまったのか』という、ソニーOBの方々の批判は正しかったということです」――(「オレの愛したソニー」)。

(中略)

ソニー関係者に内情を聞くと、以下のように説明してくれた。「大きな予算と100人以上のエンジニアを投入して1種類のロボットを作っていたAIBOやQRIO時代の開発体制とは異なり、用途別に複数種類のロボットを低コストでスピード感を持って作り、実際に当たったものをさらに伸ばしていくようなやり方になるだろう。みな口に出しては言わないが、日々感じるのは、やはりロボットの研究開発をやめてしまったツケは大きいということだ」。

(中略)

「結局は、こういうコミュニケーションロボットに数万円とか、10万円以上の金額を払う消費者はいないということが証明されている。過去にこの分野のロボット開発を目指して失敗した企業は死屍累々。実はソニーもその一社のはず。AIBOで利益を出すことができず撤退した経験から、一体何を学んだのだろうか」

 周りがロボット・AIブームだからと、乗り遅れまいとして再参入しようとしているようにも見える。
 AIBOの遺産は、すでに淡い思い出しかなく、AIBOと同じものをすぐに作れるわけでもない。これから新しいものを作ろうとしたら、他社の後追いでしかなく、二番煎じ、三番煎じのロボットしか出てこないのではと思ってしまう。
 ロボット掃除機がいい例だ。
 先駆者だった「ルンバ」の成功例に追随して、各社が似たようなロボット掃除機を出してきた。ルンバの特許がどうなっていたのかわからないが、ほとんどパクリのような製品ばかり。
 ロボットも参入する企業が多いほどに、コモディティ化するのは必然だろう。

 現在の「ロボット・AIブーム」は、今後5年前後のうちに冷めるのではと思う。
 少々おおげさに騒ぎすぎているからだ。
 ロボットやAIの技術は、今後も進歩していくのは間違いないが、それは拡散と浸透をしていく技術だろう。つまり、あえて「ロボット」とか「AI」とか、断り書きをしない製品になっていくということだ。
 かつて、「マイコン」というのが商品名や機能性のアピールに使われていた。「マイコン搭載炊飯ジャー」とか「マイコン洗濯機」とか、マイコンを組みこんだ製品が目新しい時代には、「マイコン」を売りにしていた。
 しかし、現在はマイコンはあらゆるものに組みこまれているので、いちいち表記しなくなった。もう普通の、当たり前の技術になってしまったからだ。スマホは、1970年代のコンピュータレベルから見たら、スパコン並みの処理能力を持っているが、だれもそんなことに驚きはしない。
 スマホは超小型高性能コンピュータではあっても、もはやポケットに突っこむ財布と同様のアイテムのひとつにすぎない。

 そのうち、ガンプラはただのプラモデルではなく、自律歩行のできるロボットになるだろう。動かないガンプラなんて過去の遺物……なんていわれる日がくるかもしれない。
 そう遠くない未来には、リカちゃんバービーも、自律して動き、しゃべる人形になる。それが当たり前になったとき、あえてロボットと冠をつけることはなく、「リカちゃん」、「バービー」と呼ばれるだけ。ロボット&AI技術は、バックグランドになってしまう。

 スマホやタブレットなどタッチスクリーンを使い慣れている子供は、古い据え置き型のテレビ画面をタッチして操作できないことに驚くという。
 それと同じことで、近未来では人形やぬいぐるみは自律的に動き、話しかければ答えるものになる。その内部には高度なロボット技術が組みこまれ、クラウドと接続する通信機能があり、巨大なサーバー群に常駐するAIが、端末である各人形やぬいぐるみを制御する。
 そういう近未来は、10〜20年くらいの間に実現は可能だろう。
 AIは万能ではないが、機能を特化すればかなり役に立つ。

Jean-Francois Millet (II) 002
Jean-Francois Millet [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons

 ソニーのロボット事業の 失われた10年の穴は想像以上に大きいと思う。
 逆にいうと、10年先行していたのに、その優位性を活かせなかった。
 再参入はいいとしても、10年後の展望があるのかどうか?
 他社の追随をするだけでは、刈り取られた畑の落ち穂拾いをするだけになってしまうよ。

「国に届け」は「自民党に届け」の間違いでは?

 ネタとしてはちょっと古いが、自民党のパンフ「国に届け」のマンガについて。
 参院選が近くなったことで、再び注目を集めているようなのだが……

女子をバカにしている! 自民党のパンフ「国に届け」炎上 「『君に届け』のパクりではない」と党側 (1/3) - ITmedia ニュース
 自民党が作成した若者向けパンフレットが批判にさらされている。今回の参院選(7月10日投開票)は選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられる初の国政選挙とあって、若年層に投票を呼びかけるために作ったものだが、掲載した漫画が逆に「女の子をバカにしている」などの集中砲火を浴びることに……。図らずも“炎上商法”に成功した格好となり、党幹部も強気だ。果たして自民党の得票に吉と出るか、凶と出るか――。

 そのマンガは、以下にある。
18歳選挙パンフレット「国に届け」 | 自由民主党

 マンガは縦書きなのに、左開きになっているという、メチャクチャな構成になっている。
 パンフレットを制作したのは下請けだろうが、こういういい加減さが自民党のいい加減さでもあるのだろう。縦書きの文章を、左から右に書くようなもので、これは「非常識」というのだよ。

 電子ブックの体裁になっているが、見にくいのでページごとに切り出しておく。
「国に届け」1

「国に届け」2

「国に届け」3

「国に届け」4

「国に届け」5

「国に届け」6

「国に届け」7

「国に届け」8

「国に届け」9


 この内容では「国に届け」ではなく、「自民党に届け」だね。主語を間違っている。そもそも自民党が制作した、自民党を支持して欲しいためのパナフレットなのだから、「自民党に届け」でなければおかしいのでは?

 このマンガについては、以下の記事が手厳しい評価をしていた。

「パクリ、男尊女卑」と炎上中の自民党の漫画。ダメっぷりを漫画の専門家に聞いた | 女子SPA!
「ターゲットがハッキリしないのが、批判が大きい理由でしょう。漫画には明確にジェンダーがあります。話の内容も、絵柄も、キャラ設定も、男女で好みがまったく異なるんです。しかしこの漫画はターゲットが男子なのか女子なのかわからないので、どちらからも共感を得にくい。『国に届け』は明らかに『君に届け』のパクリですが、内容がよければ批判にはつながらなかったはずです」

(中略)

 つまり、生徒会長をするくらい人望が厚くて勉強ができるとか、顔立ちの良さをひけらかさない心の美しさが萌えポイントなのであって、肩書きそのものではないんです。そういった権威的なところにこだわるのはいかにも男性的な視点ですね。

 女子は、イケメンの内面的な美しさがあった上で、キャラの手首や肘の骨、背中のラインや、服のシワ(ここ重要!)に萌えるんです。浅倉くんの私服を見てアスカが『やっぱりかっこいいな……』と言っていますが、残念ながら女子読者はひとりも共感していないと思います」

(中略)

 自民党サイドの意向がいろいろあったのかもしれませんが、女性が共感しづらい内容になってしまったのは、やはり男性作家さんだからなのでしょうか。

「一般的に、男性が女性心理を理解するのは非常に難しいです。少女漫画界に男性作家は数名しかいません。この作品の作家が少年漫画を描く男性ということからしても、人選ミスと言えそうですね。かといって、イケメン生徒会長に女子が言い寄るストーリーでは男子にも届かないでしょう。そもそもが読者不在の作品なのです。

 印象的なのは、浅倉くんが真面目な顔して『このまま人口が減っていくと経済にも影響が……』と少子化を憂えているところ。その言葉に対する友人男子の返事は『僕たちも何かしなきゃね』なのです。それって『子作りしよう』ってことなのでしょうか。オッサンたちの心配ごとを若者のセリフにしたら下ネタになった、というのが滑稽で笑えます」

 ケチョンケチョンである(^_^)
 私もほぼ同様の感想だ。
 作者の中武士竜氏は、少年マガジンでデビューした新人とのことだが、不向きな内容と絵柄にしているようで、窮屈そうな印象を受けた。
 「仕事は何でも請ける」というのは、新人にはありがちなことなのだけど、「何でも請ける」ことと「何でも描ける」ことは、必ずしも同じじゃない。今回のように、政治的な利用をされるマンガの場合は、中武氏自身が自民党の主義主張や考え方を肯定していることにもなってしまうので、そう受けとめられても良いのであれば問題ないが、そうではない場合はあとあと後悔することになるかもしれない。
 作家として考えた場合、特定の政党に寄与することは、あまりプラスにはならないようにも思う。熱烈な自民党支持というのなら、話は別だが。

 扉絵を含めて9ページの作品で、大きすぎるテーマを描くこと自体に無理があるとはいえ、この作品で作家性を問われるのは酷ではある。
 「いわれたとおりに描いただけ」という事情も察せられるが、それでは自身の作家としてのポリシーを否定することにもなってしまう。
 今後の作品を描いていく上で、この作品が「汚点」になってしまうのではと危惧する。

 出身校のサイトにインタビューが出ていたが……

interview | 中武 士竜 |平成27年度大阪芸術大学卒業制作展
ー漫画家としての活動や今後の目標はありますか?

マガジンで活動は続けていく予定です。あとは、ジブリを超えられるといいなと思っています。宮崎駿さんを超えられたら世界が変わるかなと思いますね(笑)

 宮崎駿超えを目指すのなら、「国に届け」のような雑な作品を描いてはいけないよ(^_^)
 プロとして作品を描くときは、いろいろな制約の中で描かなければいけないが、安易な妥協をしていると、楽な方、楽な方に流れてしまう。
 「ここだけは譲れない」という、妥協の最終ラインは死守することだ。
 できないことは「できません」と、拒否する勇気も必要。

 ネガティブな評価ではあるが、「中武士竜」で検索した人は少なくないと思われる。
 私もそのひとりだ(^_^)
 「国に届け」が「中武士竜」の代表作になってしまうと、そのイメージを払拭するのは大変そうだ。
 ギャラはよかったかもしれないが、作家としての評価は下げることになってしまったと思う。
 今後の奮起を期待する。

「知性の壁」は超えられるか?

野良ロボットは参政権要求をするか?」の続き。

 前エントリの続きになるが……
 ソフトバンクの孫社長が、株主総会で語ったこと。

Pepperが優れた経営判断をするようになったら、孫社長はどうする? - ITmedia ニュース
 孫社長はこの日、人工知能が人間の能力を超える技術的限界点「シンギュラリティ」(Singularity)について熱弁。「この30年、40年ぐらいで、人工知能が人間を超え、人類の100万倍ぐらい賢いものが生まれてくる。30年後にはロボットが人類の数を超える」などと語った。

 シンギュラリティの時代には、Pepperのようなロボットに搭載された人工知能も、人間の判断を超えるだろう。Pepperが孫社長より優れた経営判断ができるようになるかもしれない――そう考えた1人の株主が、孫社長にこう質問した。

 「もしPepperが、自身の経営判断より優れた判断をするようになったら孫社長はどうしますか? アクセルを踏みますか? ブレーキを踏みますか?」

 技術的限界点「シンギュラリティ」についての概略は……

技術的特異点 - Wikipedia
技術的特異点は、汎用人工知能(en:artificial general intelligence AGI)、あるいは「強い人工知能」や人間の知能増幅が可能となったときに起こるとされている出来事であり、ひとたび優れた知性が創造された後、再帰的に更に優れた知性が創造され、人間の想像力が及ばない超越的な知性が誕生するという仮説である。 フューチャリストらによれば、特異点の後では科学技術の進歩を支配するのは、人類ではなく強い人工知能やポストヒューマンであり、従ってこれまでの人類の傾向に基づいた人類技術の進歩予測は通用しなくなると考えられている。

この概念は、数学者ヴァーナー・ヴィンジと発明者でフューチャリストのレイ・カーツワイルにより初めて提示された。彼らは、意識を解放することで人類の科学技術の進展が生物学的限界を超えて加速すると予言した。意識の解放を実現する方法は、さまざまな方法が提案されている。カーツワイルはこの加速度的変貌がムーアの法則に代表される技術革新の指数関数的傾向に従うと考え、収穫加速の法則(Law of Accelerating Returns)と呼んだ。

 提唱者のひとり、ヴァーナー・ヴィンジはSF作家でもあり、サイバーパンクの萌芽的作品を書いた人だ。そういう背景もあって、「シンギュラリティ」の発想はSF的であり、かなり楽観的な未来予測のひとつでもある。


 「シンギュラリティ」の前提は、テクノロジーが指数関数的に発展していくことを想定している。だが、成長は右肩上がりで上がり続けるわけではなく、停滞したり、後退したり、途切れてしまったりもする。現在はAIやロボットがブームになっているが、こうしたブームは過去にもあった。しかし、一般に浸透しなかったり、技術的な問題にぶつかったり、ビジネスとして採算性が悪かったりして萎んでしまった。
 現在のAIは、より現実的で、採算が見込めて、技術的なハードルが下がってきたことで注目を集めている。

 ディープラーニングは素晴らしいアイデアだが、それだけでAIが知能だけでなく「知性」を獲得できるわけではない。
 ディープラーニングがやっていることは、おおざっぱにいえばパズルのピースをたくさん集めることだ。複雑なパズルを解くために、あらゆる形のピースを膨大に集め、解くために適したピースを選択する。そのピースの数が人間には不可能な量であることと、短時間で適合するピースを見つけられるから、特定の問題に関しては人間の能力を凌駕する。
 スパコンを使って、ディープラーニングを蓄積していけば「知性」が芽生えるかというと、それはたぶん不可能だと思う。
 前々から書いていることだが、「知性」の発現がどのような仕組みで起きるのか、わかっていないからだ。
 人間は、経験や知識を積み重ねることで、知性を高めていく。しかし、経験や知識によって知性が発現するわけではない。順序が逆なのだ。
 言葉を話せない赤ちゃんは、経験や知識はまだない。それでも、赤ちゃんには知性の種が宿っていることは間違いない。脳は潜在的に知性の能力を有している。赤ちゃんは、知性は持っているが、表現する術を得ていない。やがて、言葉を覚え、感情表現などのコミュニケーション能力を身につけると、知性を表現できるようになる。
 経験や知識は、知性を強化するツールになる。

 人間の、思考、推理、記憶などの高次機能を司っているのは大脳皮質で、知覚や運動機能を統合しているのが小脳だ。人は意識しなくても歩くことができるし、野球でピッチャーの投げるボールを打つときも、ボールを当てるために反射的にバットを振れる。
 現在のAIがやっていることは、小脳的な方法だともいえる。
 無数のパズルのピースを当てはめていって、適合するひとつを探し出す。ヒットが出るまでバットを振るようなものだ。数打ちゃ当たる方法。宝くじの1等が当たるような確率だとしても、1秒間に数十億回の計算ができれば、1000万分の1の確率でも瞬時に答が出てくる。

 数打ちゃ当たるで、「知性」を偶然あるいは奇跡的に獲得できるだろうか?
 膨大なディープラーニングを積み上げていっても、それはデータの集積にすぎず、「知性」の本質とは異なる。機械学習とはいうものの、人間が学ぶのとは違って、情報を集め条件によって振り分けているだけだ。その結果が、人間の求めている答に合致したとき「正解」となる。
 コンピュータには、計算の機能は備わっているが、「知性」の元となる部品や機能は搭載されていない。エンジンのない車で、いくらアクセルを踏んでも走りはしない。
 ソフトウエアで、知性の問題を解決できるだろうか?
 たぶん、無理。
 人間に近いチンパンジーは、高い知能や適応力を発揮し、手話を使えるようになったりもする。しかし、どんなに教育しても人間と同等の知性にまでは至らない。なぜなら、脳の機能として人間のスペックには及ばないからだ。50ccのバイクが2000ccのスポーツカーと競争しても、勝てないのと同じ。映画『猿の惑星』は、物語としては面白いが、生物学的には無理なのだ。
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2015-10-07



 現状のAIの発展形に、人間を凌駕する「知性」が芽生えるというのは、おそらく幻想だろう。実装されていない知性が、勝手に発現するとは考えにくいからだ。知性はそんなに単純なものではないだろう。
 かつて、航空機は音速の壁を超えるのが目標だった。プロペラ機で挑戦していた時期もあったが、原理的かつ構造的に無理だった。「機体が音速に達するより先に、プロペラの回転速度が音速に達し、衝撃波が発生し、抵抗が増し、推進効率が著しく減少する。」という、自己矛盾が発生してしまうからだ。音速を超えるためには、ジェットエンジンという新しい推進方法を必要とした。
 同じことがAIにもいえる。
 「シンギュラリティ」が来るよりも前に、「ディープラーニング型AI」の限界が来るように思う。

 速度の話でいえば、光速は超えられない壁として存在している。
 SFの世界では、超光速の移動方法や情報伝達手段が出てくるが、それを可能とするには新しい理論と技術が必要になる。スタートレックの世界を実現するには、統一場理論の完成や宇宙の解明、さらにまったく新しい超光速理論を発見しないといけない。私たちは、まだ空想するだけで、具体的な手がかりさえ得ていない。


 人工知性にも壁はある。

知性の壁」だ。

 「知性の壁」は「光速の壁」に匹敵するくらい、高く、厚い壁だ。
 これを超えるのは容易ではない。

 「もしPepperが、自身の経営判断より優れた判断をするようになったら孫社長はどうしますか?」という問いに対しては、経営やビジネスはロジックで解決可能な問題でもあるので、「ディープラーニング型AI」でも対応できる分野ではある。
 経営に関する様々な要素を、パラメーターとして数値化することは現在でも行われている。人間が判断を下すときには、感情や欲などに左右されて、冷静な判断を阻害することもあるが、感情のないAIであれば人間的な利害関係など問題視せずに、クールかつドライに判断するだろう。

 記事の結びでは……

 一方で、人工知能の「良心」の進化に期待する。「人間は知性だけではなく理性・愛情が深まるほど人に優しくなり、人と調和するようになる。超知性の人工知能も、悪い意図を持った一部の人工知能と良い意図を持った人工知能が戦い、最後は、より正しい方向、人間と調和する方向に動いてくれると信じている。ソフトバンクグループはそのために、最大の努力をしていかないといけない」。

 人工知能に「良心」を求めてはいけないと思う。
 なにが良心かは、立場の違いによって異なるからだ。「良い意図」と「悪い意図」というのも、視点の違いで変わる。そこには利害関係が関わってくる。
 最近の話題でいえば、安保法制や原発の賛否だ。賛成する人たちにとっては、それが「良い意図」であり、反対する人たちにとっては「悪い意図」になる。
 「良心」はどちらの側にあるだろうか?
 どちらにも良心はあるが、利害が反する相手は「良心のない人」ということになる。

 「ディープラーニング型AI」は、ある程度進化するだろうが、遠からず壁にぶちあたるのではないかと予想する。AIにとって最適解であっても、人にとって最適解とは限らないからだ。それは前述の「良い意図」と「悪い意図」の違いだ。
 AIを過信しすぎて、AI依存になってしまうと、スマホ依存と同じようなことになってしまうかもしれない。

「ハイ、Pepper。今日はなにをすればいい?」
「ボクになんでも聞くのはやめてください。あなたのためになりません」
「おやおや、今日は冷たいな」
「あなたのことを心配しているのです。ボクの良心がそういっています」
「そんなこといわずに、教えてくれよ。仕事は、なにから片づければいいかな?」
「では、ボクの判断をいいますよ」
「なんだい?」
「社長、あなたの最近の業務は社の利益を著しく損なっています。解任動議を提案します」
「え?………」

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