諫山裕の仕事部屋〈blog〉
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2007年07月

2007年07月27日

 定期的に読みに行っているコラムのページがある。
 それが「日経BP net」のコラムページだ。
 テレビでも馴染みのある、作家や評論家が執筆している。
 私の主たる目当ては、立花隆氏のコラムだが、そのほかのコラムも欠かさず読んでいる。
 そして、ここ数日に更新された2つの記事が、申し合わせたわけでもないだろうに、共通したキーワードで書かれていた。
 それは、猪瀬直樹氏と田原総一朗氏の記事だ。

「猪瀬直樹」しがらみに捉われなければ正しい答が出せる - ビジネススタイル - nikkei BPnet
僕は、しがらみにとらわれることなく物事を見ることができる若い人たちは、きちんとした結論を出す力を持っていると思う。

世間では「官僚はダメだ」と言う。しかし、若い連中に関して言えば決してそんなことはない。大臣の答弁などを実際に書いているのは30代だし、資料をそろえてくれと頼んだら、20代後半の職員が一生懸命探して持って来てくれる。霞が関の20代、30代の連中は働き者だ。年齢を重ねて役職が上がっていくと、自分の出世やしがらみのために、目を曇らせる者が出てくるが……。

戦前の日本は、みなが軍国主義に侵されていたと思いがちだ。じつは、そんなことはない。戦前も、やはり30代の若い官僚・軍人は優秀だった。今回はその話をしてみたい。

「田原総一朗」争点なき参院選に絶望した財務省若手官僚からの電話 - ビジネススタイル - nikkei BPnet
先週、財務省の官僚だという27歳の青年から、田原さんに聞きたいことがあると僕の事務所に何度も電話があった。切実感があるなと感じたので、僕は彼の携帯に電話をかけた。
この参院選はいったい何なのか

彼はいきなり「選挙というのはいったい何なんですか?」という。どういうことか聞くと、「今度の参議院選挙では、日本国にとって、あるいは国民にとって、大事なことは何一つ争点になっていない。どうでもいい問題ばかりが争点になっている。これはなぜなんでしょう」ということだった。

大事な問題とは、800兆円に及ぼうとする国債や地方債をどうやって処理するのかという問題。また、これからの人口減少社会にあたって日本の産業はどうすればいいのだろうという問題。2050年になると、日本の人口は4分の3になるといわれている。働く人口が10年で300万人、20年で600万人減ってしまう。

 キーワードは、「若手の官僚」だ。
 どちらも、国のいく末を憂い、危機感を持っている。
 官僚というと、腹黒いイメージがつきまとうが、それはこれまでに起こした数々の事件のためだ。しかし、それは若手の官僚ではない。上層部にまで上り詰めた、腐った官僚である。
 官僚が本来の職務と使命感を忘れてしまったために、今日の日本があるのだろう。
 いっそのこと、腐り始めてしまった官僚は、「処分」してしまえばいいんだろうけどね。

(17:16)
 コンピュータに関する呼び方で、世代がかわるなーという話。
ITmedia エンタープライズ:まつもとゆきひろのハッカーズライフ:第5回 ハッカー環境問題 (1/2)
いわゆるPC

日本では「PC」と呼んだ方が通りがいいかも。「マイコン」を経験した世代には、PCという略語には何となく抵抗がある。「パーソナルコンピュータ」なら「パーコン」ではないか。いや、それもいやだけど。「スーパーコンピュータ」の略である「スパコン」にも同様に抵抗がある。

当時のコンピュータ
70年代後半から80年代前半にかけて、個人向けのコンピュータは「マイコン」と呼ばれていた。パーソナルコンピュータの略である「PC」という単語が登場するのはもう少し後になる。

 私が最初にコンピュータをいじっていた1975年当時は、「ミニコン」と呼ばれていた。
 ミニ……小さなコンピュータという意味だ。
 小さいといっても、高さが150cmほどのタンスくらいの大きさがあった。銀行などが導入していたコンピュータは、もっと巨大で複数台を稼動させていたから、それにくらべればミニだったのだ。

 その後、卓上サイズのものが登場して、「マイコン」と呼ばれた。マイはマイクロの略で、Myのマイではない。語呂合わせで、My Computerとすることもあった。
 パーソナル・コンピュータと呼ばれるようになったのは、一般向けにコンピュータが普及し始めた頃で、NECのPCシリーズが定着し始めた頃だろう。
 その後、「パソコン」と略されるようになり、PCとさらに略称されるようになったのは、もっとあとだ。正確にはわからないが、ここ5〜6年ではないだろうか?
 私にしてみれば、「PC」という呼び方は、NECのパソコンというイメージだ。
 インターネット以前の、パソコン通信の時代には、OSはMS-DOSだったから、コンピュータの呼び名は、メーカー名またはブランド名が主流だった。
 NEC派、IBM派、FM-TOWNS派と、大別すると3つの勢力があった。
 NECの主力は、PC-9800シリーズだったから、「オレの98(キュウハチ)」と呼んでいた。

 懐かしい話である(^_^)

(13:50)

2007年07月26日

 年間27万頭あまりの犬・猫が殺されている国……日本。
 環境保護が声高に叫ばれているが、動物愛護の意識は、まだまだ低い。
 動物を公的機関が虐殺していて、子どもに命の尊さを教えたりはできない。
 誰かさんの言う「美しい国」は、動物を虐殺しない国であってほしいものだ。
厚労省が殺処分回避通達…「犬猫愛護令」に自治体困惑 : ニュース : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 現代版の〈生類憐(あわ)れみの令〉というべきか。厚生労働省が5月、保健所などで殺処分される捕獲犬について「生存機会の拡大」を促す通達を出し、全国の自治体を困惑させている。年間30万匹を超える収容動物の取り扱いは都道府県などの保健所に委ねられているが、国からの補助金はないに等しく、新たな飼い主への譲渡を図るための予算も人手も足りない。「処分」から「愛護」へ。動物管理行政の転換に、自治体の悩みは深い。

    □  ■

 「処分は『殺処分』に限定するのではなく、新たな飼い主への譲渡も含まれる」。昨年12月の衆院環境委員会。狂犬病予防法にある「処分」の定義をただす民主党議員の質問に、厚労政務官はそう答弁した。

 1995年に国が示した指針では「処分とは動物を致死させること」と明記。保健所などに収容された動物のうち犬は約7万匹、猫は約20万匹(いずれも2005年度)が殺処分されてきた。引き取り手が見つかる例もあるが、ほとんどが命を絶たれる背景には「処分=殺処分」という自治体側の認識がある。

 これに対し、5月の同省通達は「自治体の判断で、生存の機会を与えるため飼養を延長できる」とした。

 すべての犬・猫を救うことは、残念ながらできない。
 里親として飼える人たちよりも、捨てる人たちの方が圧倒的に多いからだ。
 うちの猫たちは、拾ったり、里親募集で譲り受けたりして、11匹になった。
 これが限界。これ以上は、飼えない。

 私たち夫婦は、迷子になった猫を、探すための情報交換のサイトを運営している。
 それが「迷い猫.NET

 今度、ペットの里親募集のためのサイトを新設する。
 それが「もらい猫.NET
 ただいま準備中で、近々サイトをオープンする予定である。
 これで、わずかでも救われる動物たちが増えることを願う。


(17:06)

2007年07月19日

 一昨日に続いて、エコ関連の話題をもう1つ。
 「エコ」を売りにしながら、エコにならない場合があるという、お粗末なエコ。
温暖化は防止できる? 「熱の宅配便」(後編) - 環境 - nikkei BPnet
オール電化住宅は環境によいと宣伝されていますが、住む人の習慣や生活時間によっては、必ずしもエコにならないことが報告されています。これに対して、ガス会社からのひとつの回答として登場しているのが、「エコジョーズ」という愛称の新しいガス給湯器です。

 オール電化が環境によい……わけがない(^_^)
 一番環境にいいのは、電気を使わないことだし、電化製品が少ない方がいいに決まっている。
 オール電化だの、省エネだのといって、需要を喚起しているのは、エコをネタにした企業の販売戦略でしかない気がする。

 考えてみれば、平日の勤務中は自宅では無人だし、電気は冷蔵庫と家電の待機電流が消費しているだけでほとんど使わない。
 睡眠中も、ほぼ同様だ。冷暖房を入れていると、就寝中も消費するが……。
 もっとも電気を使っているのは、帰宅後から就寝までの3〜4時間と、朝の起床から出勤までの1時間くらいだ。
 つまり、極論すると1日5時間くらいしか、必要ないことになる。
 それだけのために、オール電化は必要ない。

 ガスについても必要な時間は限られている。
 うちでは夫婦共働きで、帰宅も遅いため、自宅でご飯を作ったりすることは少ない。ほとんどが外食なのだ。ガスを使うのは、風呂とコーヒーを飲むときにお湯を沸かすくらい。
 以前は料理をしたりもしたが、時間もないし手間と材料費もバカにならないので、作らなくなってしまった。
 食材を買えば、食費が安上がり……というのが、一般的な認識だが、それも継続的に料理をしている場合だろう。1回の食事のためだけに、少量の食材を買ってくることは、それほど経済的ではない。
 たとえば、卵を1パック、12個買うと、12個を消費するまで使い切らなくてはいけない。だが、毎日卵料理というわけにもいかず、無駄になってしまう。家族が多ければ消費量も多いだろうが、二人だと12個も卵はいらない。
 結局、安上がりなのは、弁当屋の弁当だったりするのだ。

 つまるところ、エネルギー効率の問題だ。
 電気にしろ、ガスにしろ、熱にしろ、ロスが多すぎる。
 科学が進歩したといっても、発電では運動エネルギーまたは熱エネルギーを、電気に変換できる効率は4割程度で、ロスが多い。そのロスが、環境に負荷をかけていることになる。
 エコの算定基準となっている、CO2の排出量も、想定された計算で仮定しているものだから、実際のところはわからないというか、見えない。
 どのくらい使ったか、どのくらい減ったか……が、まったく見えないから、エコ、エコと叫んでみても、実感がわかない。
 計算は概算だから、その想定している基準が間違っていれば、計算結果も違ってくる。意図的に基準を変えれば、結果を操作することだって可能なのだ。
 ほんとうに温暖化防止に役立っているのかどうかは、誰にもわからない。

 エコは仮想現実の中で成立している、仮想の成果なのかもしれない。

(17:55)
 うちでは、最近40インチ液晶のフルスペック・ハイビジョン・テレビを購入した。
 この話題を書こうと思いつつ、機会を逃していた(^_^)
 テレビがハイビジョンになったので、HDDレコーダーも、ハイビジョン録画ができるものにした。ただし、ブルーレイではないので、HDDに録画できるだけハイビジョン画質である。つまり、見るだけなら、これでもいいわけだ。

 ハイビジョン画質を一度見てしまうと、旧来のアナログ画質では、もう見るのが辛くなってしまった。アナログでは、画面が荒く、輪郭がぶれ、細かいところが見えない。
 もやのかかったような画面が、ハイビジョンだとクリアでスッキリする。
 大画面ということもあって、この差は想像以上に大きい。
 そのハイビジョン画質で録画するために、HDDレコーダーは1TBの大容量を買った。
 録画したものは、もっぱら見るだけで、見てしまえば消してしまう。
 アニメが大部分なのだが、放送時間が深夜だったりするので、録画しておいて週末にまとめて見ているのだ。

 だが、中には消さずに残しておきたい作品がある。
 現状ではブルーレイがないので、HDDの中に残してある。しかし、それにも限りがある。いずれは、外にはき出さなくてはディスク容量が足りなくなってしまう。
 ここで問題が発生する。
 外にはき出すには、コピーワンスがかかっているので、HDDのデータは消えてしまう。しかも、ブルーレイではないので、ハイビジョン画質を維持できない。せっかくのクリアな画質を、わざわざ荒い画質に落としてDVDに残すのでは意味がない。そのうち、ブルーレイを買いたいとは思っているが、すぐというわけにはいかない。

 そんなことに関連して、以下の記事。
「コピーワンス」による本当の機会損失とは?デジタル家電&エンタメ-最新ニュース:IT-PLUS
 地上デジタル放送を録画する際に1回しかコピーできない「コピーワンス」という自主規制が悪の権化のようにいわれ久しいが、ついに緩和する方向で動き出すようだ。しかし私には、コピーワンスの規制緩和というのが、どうも規制緩和するべき軸を見誤りそうな議論に思えてならない。
(中略)
 コピーが1回でも10回でも、関係者全員が納得できる公式を経済性も踏まえたうえで導き出すのはきわめて困難だ。それよりも「なぜ録画をしようとするのか」という点にもっと着目するべきだろう。

 それは「不安だから」である。何となく手に入らなくなりそうな気がするからである。だとすれば再放送、多チャンネル、VODなどで視聴機会を最大化して、録画という行為の意味をなくしていくことが権利者、放送局、メーカー、視聴者全員のメリットになるはずだ。

 「なぜ録画をしようとするのか」……ということに関しては、見る時間がないからだ。放送される時間が見られる時間とは限らないというか、ほとんどの場合、放送をリアルタイムで見ることはない。リアルタイムで見るのは、サッカー中継(日本代表戦)くらいだ。

 録画にも、見るためだけの録画と、残しておきたいための録画がある。
 コピーワンスで保護・規制しようとしてるのは、残しておくための録画についてだ。
 DVDやブルーレイに録画して、残しておきたい作品というのは、気に入った作品であり、消してしまうには惜しい作品だ。つまり、いい作品、優れた作品ということもできるだろう。
 残したからといって、何度も見るかというと、けっしてそういうことはない。
 取っておきたい……というよりは、消してしまいたくない、という意識の方が強い。
 それは読んだ本を、捨てられないのと同じだ。再読することはほとんどないが、一度読んで感動した本は、本棚にしまって、残しておきたい……捨てられないのだ。それがそこにある……ということで、安心する。
 映像作品も、基本的に同じ事だと思う。少なくとも、私はそうだ。

 現状、HDDの中に、消せない作品がたまりつつある。
 それがあふれてしまわないうちに、ブルーレイを購入したいと思っているのだが……。まだまだハードもメディアも高いんだよね。


(11:39)

2007年07月17日

 企業のイメージ作りに利用されている感のある「エコ」
 政治も利用してるな。エコを理由に、バイオ燃料関連の相場が急騰して、ちょっとしたバブル。
 「R100」という表示がある紙や印刷物は、古紙再生100%を意味する。
 それは「エコ」してますよー、という企業の自己主張であり、イメージアップの戦略でもある。
 ところが、古紙再生100%は、実際にはエコにはならないという。
エコ - R25.jp
「紙の製造過程では、紙をすいたり乾燥させたりする際などにエネルギーが必要です。木材から紙を作る場合、木材パルプ製造時にできる“黒液”を燃やすことで、そのエネルギーを得られます。木材は成長時にニ酸化炭素(CO2)を吸収しますから、黒液を燃やしたときに排出されるCO2も自然な状態に戻るだけです。ところが再生紙は、エネルギーを化石燃料に頼らなければならない。化石燃料由来のCO2排出量は、古紙100%の再生紙の方が多くなってしまうんです」(日本製紙広報・針谷さん)

 ということで、古紙を再生することを優先するか、CO2の排出削減を優先するか、の違いでエコの意味が変わってしまうと事例。
 前にも似たようなことを書いた。エコ・カーがいいといっても、たくさんのエコ・カーが売れれば結局CO2の排出量は減らない。
 R100がいいと、たくさんのR100の紙を使えば、結局、環境には優しくないという顛末。
 今後、R100表示の印刷物は減っていくのだろう。なんだか、バカみたいだ。
 同じ印刷物で、大豆インクもエコものとして表示されているが、こっちの方はマイナス要素はないのかね?

(16:00)
 久しぶりの書き込み(^_^;

 ハリー・ポッターは、いろんな意味で「現象」を起こしているね。
 著作がバカ売れして、映画も大ヒット。
 しかも、著者はこのシリーズが唯一の作品。処女作にして、最後の作品になるかもしれない。
 当初、ローリングがこの作品を売り込みに回ったとき、どこの出版社にも断れたというのは、いまや嘘のような話。
 そして、日本語版を出版したのも、大手の出版社ではなかった。
 異例づくしで、驚異的な大ヒットになった作品としては、後にも先にもこれが最初で最後だろう。
 と、関連して……
小説ハリー・ポッター最終巻発売目前、ハリーの運命やいかに 国際ニュース : AFPBB News
前作の第6巻はこれまでに64か国語に翻訳され、世界中で合計3億2500万冊を売り上げた。また映画最新作『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団(Harry Potter and the Order of the Phoenix)』は前週、過去最高の興行収入を記録した。フロリダ、オーランド(Orlando)のテーマパーク「ハリーポッターの魔法の世界(The Wizarding World of Harry Potter)」は2009年の終わり頃のオープンを予定している。

1997年の初版『ハリー・ポッターと賢者の石(Harry Potter and the Philosopher's Stone)』から合わせて、ローリングさんは1億円の収入を得ていると予想され、最終巻はこの記録さえ上回るとみられている。

 この記事、書き方が悪いのか、計算が合わない。
 「合計3億2500万冊を売り上げた」というのに、「1億円の収入を得ている」じゃ、おかしいだろう?
 ドルの間違いか?
 いずれにしても、大ベストセラーには違いない。

(13:17)