2008年04月
2008年04月25日
前にも書いたような気がするが……(^_^;
ブログ以前の日記(戯れ言)だったかな?
まぁ、いいや。
明晰夢は、睡眠中に夢であることを自覚できる「夢」のことだが、私はたいていの場合、明晰夢だ。
それについての記事。
[雑学] 夢の内容を自由自在にコントロール!“明晰夢”を見る方法とは? | LxR | R25.jp
夢がモノクロという人も多いらしいが、私はフルカラーである(^_^)
視覚(色彩、立体感)、聴覚(音)だけではなく、触感(手触り、質感、温度など)、味覚、嗅覚、痛覚なども感じられる。覚醒しているときの感覚が、夢を見ているときにも再現される。
もうひとつ、重力感も感じられる。それは無重力状態の時の浮遊感や、飛んでいる夢の時の加速感などだ。
SFっぽい夢も見るので、宇宙空間が舞台だったりすると、そこが無重力なのかどうかが再現されるというわけだ。その感覚は、脳がイメージとして作り出しているものだろうが、かなりリアルで面白い疑似体験になる。
そして、夢を見ているときだけに思い出せる、「夢の中の記憶」というのがある。
ふだんの生活の中では忘れているのだが、ある夢をみているときに、「あっ、ここは前にも来たことがある」と思い出すのだ。
それは夢の中の世界で、以前にも見た夢の場面や場所と似通っているときに、記憶がよみがえる。
しかし、もともと確定された世界ではない夢の世界だから、前の時と同一ではない。あちこちが微妙に違っている。
「前のときは、たしかこの先にアレがあったはず……」と、夢の中の道を進んでも、アレは存在しているとは限らない。
また、あるときは同じようなストーリーが展開されて、次はこうなるはずだから、回避しよう……と思ってみても、ストーリーが変わってしまったりする。
自分が夢を見ていることは自覚できるから、場所やストーリーを改変しようとする。うまくいくこともあれば、予想外の展開へと発展することもある。
ある意味、脳内RPGである。
夢を見ていて目覚めた直後は、夢の記憶が現実の記憶と混濁している。リアルな夢なので、寝ぼけた頭では区別がつかないのだ。
起きてシャワーを浴び、歯磨きをしていると、はたと気がつく。
「あっ、この記憶は夢の中の記憶だ」と。
そこではじめて、現実の記憶と夢の記憶が分離される。
その感覚は、夢世界の中で生きている、もうひとつの人格がいるような感じだ。
リアルの世界も、結局のところ、脳が描き出しているイメージに過ぎない。
目から入ってきた光の情報が、脳の中で映像として認識されるのに、30分の1秒かかるという。つまり、見えているものは過去の世界なのだ。
リアルといえども、真の意味でリアルではない。
夢が脳の中で生成されている世界であるなら、脳にとってはそれもリアルなものだともいえるのではないだろうか。
ブログ以前の日記(戯れ言)だったかな?
まぁ、いいや。
明晰夢は、睡眠中に夢であることを自覚できる「夢」のことだが、私はたいていの場合、明晰夢だ。
それについての記事。
[雑学] 夢の内容を自由自在にコントロール!“明晰夢”を見る方法とは? | LxR | R25.jp
明晰夢を見ることができる人はかなり少数ですが、訓練次第で見られるようになる可能性はありますよ。明晰夢は普通の夢よりも視覚や聴覚が鮮明に感じられ、幸福感に包まれたり、感動体験をしたりと、主観的には満足度が高い。
夢がモノクロという人も多いらしいが、私はフルカラーである(^_^)
視覚(色彩、立体感)、聴覚(音)だけではなく、触感(手触り、質感、温度など)、味覚、嗅覚、痛覚なども感じられる。覚醒しているときの感覚が、夢を見ているときにも再現される。
もうひとつ、重力感も感じられる。それは無重力状態の時の浮遊感や、飛んでいる夢の時の加速感などだ。
SFっぽい夢も見るので、宇宙空間が舞台だったりすると、そこが無重力なのかどうかが再現されるというわけだ。その感覚は、脳がイメージとして作り出しているものだろうが、かなりリアルで面白い疑似体験になる。
そして、夢を見ているときだけに思い出せる、「夢の中の記憶」というのがある。
ふだんの生活の中では忘れているのだが、ある夢をみているときに、「あっ、ここは前にも来たことがある」と思い出すのだ。
それは夢の中の世界で、以前にも見た夢の場面や場所と似通っているときに、記憶がよみがえる。
しかし、もともと確定された世界ではない夢の世界だから、前の時と同一ではない。あちこちが微妙に違っている。
「前のときは、たしかこの先にアレがあったはず……」と、夢の中の道を進んでも、アレは存在しているとは限らない。
また、あるときは同じようなストーリーが展開されて、次はこうなるはずだから、回避しよう……と思ってみても、ストーリーが変わってしまったりする。
自分が夢を見ていることは自覚できるから、場所やストーリーを改変しようとする。うまくいくこともあれば、予想外の展開へと発展することもある。
ある意味、脳内RPGである。
夢を見ていて目覚めた直後は、夢の記憶が現実の記憶と混濁している。リアルな夢なので、寝ぼけた頭では区別がつかないのだ。
起きてシャワーを浴び、歯磨きをしていると、はたと気がつく。
「あっ、この記憶は夢の中の記憶だ」と。
そこではじめて、現実の記憶と夢の記憶が分離される。
その感覚は、夢世界の中で生きている、もうひとつの人格がいるような感じだ。
リアルの世界も、結局のところ、脳が描き出しているイメージに過ぎない。
目から入ってきた光の情報が、脳の中で映像として認識されるのに、30分の1秒かかるという。つまり、見えているものは過去の世界なのだ。
リアルといえども、真の意味でリアルではない。
夢が脳の中で生成されている世界であるなら、脳にとってはそれもリアルなものだともいえるのではないだろうか。
(18:45)
2008年04月24日
ネット時代になって、ネット上やそれを取り巻く環境で起きる社会現象を、ネット時代特有の現象として取り上げることも多くなった。
たとえば、誰もがネットを利用できるようになって、個人でも情報を発信できる時代となって、マスメディアや出版社などを介さずに意見を主張したり作品を発表できる。
そのことが、旧来のメディアや出版社のビジネスモデルを破壊することになる……といわれている。You Tubeやケータイ小説に代表される現象だ。
あるいは、次の記事のようなこと。
仲良くするのはこんなに難しいのか〜『友だち幻想 人と人との〈つながり〉を考える』 菅野仁著(評:澁川祐子):NBonline(日経ビジネス オンライン)
これらのことが、ネット時代特有のことかというと……
じつは違う。
ネット時代以前にもあったことの、ネット版焼き直しなのだ。
『個人でも情報を発信できる』ということに関しては、ネット時代以前では「同人誌」がその役割を担っていた。
現在でも、コミケに代表される同人誌即売会はあるが、ネット時代以前と現在では、その役割や意義はまったく違っている。
かつての同人誌は、個人が作品や論評記事を発表する、唯一の媒体だった。自費出版するための費用がバカにならなかったが、とにかく発表することが可能だったのだ。同人誌即売会は、その発表の舞台(売り場)として発生した。
ただし、本という形での頒布だったため、行き渡る人数には限界があった。印刷コストの問題もあり、せいぜい100〜200人に頒布できれば御の字だった。売れたからといって儲けになることはなく、多くの場合、赤字だ。
それでも、出版社を介することなく、自分たちの作品を読んでもらえる貴重な機会であった。
初期の頃の同人誌即売会は、参加している人が作品の書き手であり、買い手でもあった。私が初めて行ったコミケは、まだ参加サークル数が800くらいで、晴海の会場の1つを使い、その会場内に余裕があるような状態だった。かれこれ、25年くらい前の話。
ネットという限りなくコストがかからないインフラが整って、個人が情報を発信するための垣根が低くなった。そういう意味では、あまりに恵まれた環境だ。
Mixiなどのコミュニティは、かつての同人誌即売会という小さなコミュニティに通じるものがある。大きな違いは、かかわる人間の数が桁違いなのと、レスポンスを得るための通信手段が素早いことだ。
郵便の手紙でコミュニケーションを取っていたのが電子メールになり、作品や記事を読んでもらえる規模が数百人から数万人になった。
そこに時代の変化を感じるものの、基本的な構造は変わらず、私から見ればネット版に置き換えただけである。
言い換えれば、ネットによる総オタク化である。
『通話状態の携帯を放置』についても、私には既視感のある現象だ。
それは「アマチュア無線」だ。
電波の届く範囲という制約はあったものの、遠く離れた友人と自宅からいつでも話ができた。通信コストは無線機の電気代くらいでほとんどかからない。学生時代は、自宅で勉強しながら、友人とチャンネルを合わせて送信をON状態にしていた。つまり、特に話をするわけでもなく、つながりっぱなしである。
ただ、無線は送受信が一方通行なので、同時に送信⇔受信状態にするには、無線機が2つ必要になる。たいていの場合、無線機は周波数帯の違う数台を持っていたので、これが可能だった。
そのときの感覚は、時間の共有だった。
部屋の中ではひとりだが、無線機を通じて向こうに友人がいる……という、ごく単純な事実が孤独ではないという認識を生んだ。
深夜になり、「おれ、そろそろ寝るぜ」といって、無線機を切るときは、どっちが先に切るかというので、なかなか互いに切れなくなることがあった。そんなときは、なにがしかの会話を始めて、結局、朝まで語り明かしたということもあった。
ネットや携帯電話では、通信範囲に制限がなくなったという違いだろう。
アマチュア無線にも、同好会のようなコミュニティがあった。OFF会というのも、このころからあり、ネットでのOFF会もルーツはアマチュア無線かもしれない。
前出の記事では、「つながり」に関連して「傷つきやすい若者」ということに関して、次のように書かれている。
それも一理あると思うが、私は少し違う見方をしている。
ネットでのコミュニケーション方法は、主として「テキスト」である。
メール、掲示板、SNSやプロフにしても、おもにテキストでメッセージの交換が行われる。
文章を書くという、誰にでもできることではあるが、高度なテクニックを必要とする不完全な手段によって、ときに誤解や意図を明確に伝えられないことになってしまう。
自分の意思を言葉で書くことは、じつは難しい。また、書かれていることの真意をくみ取ることも難しい。
安易なようで、とても難しい手段でコミュニケーションを成立させようとするから、ちゃんとしたコミュニケーションが成り立たない。
ブログの炎上や、プロフでのトラブルは、その不完全さ、稚拙さから事態が悪化する。
これが会話によるコミュニケーションであれば、言葉足らずであったとしても、ニュアンスが伝わったり、何度もリアルタイムで説明を試みることで、ある程度の真意を伝えられる。
アマチュア無線で、交信中に「炎上」するなんてことはありえない。喧嘩になることはあっても、不特定多数を巻き込むトラブルには発展しない。それはコミュニケーションが完結するからだ。
ネットは、コミュニケーションが完結しない。延々とすれ違いの応酬が続く。それはテキストという不完全な手段に頼っているからだ。
そもそものコミュニケーション手段としてのテキストが不完全でもあるにもかかわらず、成立しないコミュニケーションに対して疎外感や勝手な思いこみをしてしまうこと自体が問題なのだと思う。
現在のネットは、機器やインフラの環境が限られているために、テキスト主体にならざるをえない。つまりは、未成熟なメディアということだ。
映画「マトリックス」の世界のように、バーチャルでありながらバーチャルであることを意識しないような世界が実現したなら、現在のネットの問題などは、ネット世界が未成熟だったがゆえの問題だったと片付けられてしまうのだろう。
たとえば、誰もがネットを利用できるようになって、個人でも情報を発信できる時代となって、マスメディアや出版社などを介さずに意見を主張したり作品を発表できる。
そのことが、旧来のメディアや出版社のビジネスモデルを破壊することになる……といわれている。You Tubeやケータイ小説に代表される現象だ。
あるいは、次の記事のようなこと。
仲良くするのはこんなに難しいのか〜『友だち幻想 人と人との〈つながり〉を考える』 菅野仁著(評:澁川祐子):NBonline(日経ビジネス オンライン)
“携帯電話の無料通話サービスを利用して、友だちや彼氏と話もせずに携帯電話をかけっ放しにしている中高生がいる”
という話が、最近ネット上で話題になった。通話状態の携帯を放置したまま、ゴソゴソという生活音だけをお互いにただ流しているというのだ。現実にかけっ放しをしている中高生がどれだけいるか、真偽のほどは定かじゃない。だが、正直「あり得るだろうな」と思った。
これらのことが、ネット時代特有のことかというと……
じつは違う。
ネット時代以前にもあったことの、ネット版焼き直しなのだ。
『個人でも情報を発信できる』ということに関しては、ネット時代以前では「同人誌」がその役割を担っていた。
現在でも、コミケに代表される同人誌即売会はあるが、ネット時代以前と現在では、その役割や意義はまったく違っている。
かつての同人誌は、個人が作品や論評記事を発表する、唯一の媒体だった。自費出版するための費用がバカにならなかったが、とにかく発表することが可能だったのだ。同人誌即売会は、その発表の舞台(売り場)として発生した。
ただし、本という形での頒布だったため、行き渡る人数には限界があった。印刷コストの問題もあり、せいぜい100〜200人に頒布できれば御の字だった。売れたからといって儲けになることはなく、多くの場合、赤字だ。
それでも、出版社を介することなく、自分たちの作品を読んでもらえる貴重な機会であった。
初期の頃の同人誌即売会は、参加している人が作品の書き手であり、買い手でもあった。私が初めて行ったコミケは、まだ参加サークル数が800くらいで、晴海の会場の1つを使い、その会場内に余裕があるような状態だった。かれこれ、25年くらい前の話。
ネットという限りなくコストがかからないインフラが整って、個人が情報を発信するための垣根が低くなった。そういう意味では、あまりに恵まれた環境だ。
Mixiなどのコミュニティは、かつての同人誌即売会という小さなコミュニティに通じるものがある。大きな違いは、かかわる人間の数が桁違いなのと、レスポンスを得るための通信手段が素早いことだ。
郵便の手紙でコミュニケーションを取っていたのが電子メールになり、作品や記事を読んでもらえる規模が数百人から数万人になった。
そこに時代の変化を感じるものの、基本的な構造は変わらず、私から見ればネット版に置き換えただけである。
言い換えれば、ネットによる総オタク化である。
『通話状態の携帯を放置』についても、私には既視感のある現象だ。
それは「アマチュア無線」だ。
電波の届く範囲という制約はあったものの、遠く離れた友人と自宅からいつでも話ができた。通信コストは無線機の電気代くらいでほとんどかからない。学生時代は、自宅で勉強しながら、友人とチャンネルを合わせて送信をON状態にしていた。つまり、特に話をするわけでもなく、つながりっぱなしである。
ただ、無線は送受信が一方通行なので、同時に送信⇔受信状態にするには、無線機が2つ必要になる。たいていの場合、無線機は周波数帯の違う数台を持っていたので、これが可能だった。
そのときの感覚は、時間の共有だった。
部屋の中ではひとりだが、無線機を通じて向こうに友人がいる……という、ごく単純な事実が孤独ではないという認識を生んだ。
深夜になり、「おれ、そろそろ寝るぜ」といって、無線機を切るときは、どっちが先に切るかというので、なかなか互いに切れなくなることがあった。そんなときは、なにがしかの会話を始めて、結局、朝まで語り明かしたということもあった。
ネットや携帯電話では、通信範囲に制限がなくなったという違いだろう。
アマチュア無線にも、同好会のようなコミュニティがあった。OFF会というのも、このころからあり、ネットでのOFF会もルーツはアマチュア無線かもしれない。
前出の記事では、「つながり」に関連して「傷つきやすい若者」ということに関して、次のように書かれている。
現代社会は欲望の対象の幅が広がり、なおかつ欲望を満たそうとするときの障害も少ない。そのことが、〈あり余る選択肢の存在が個々の魅力を減退させ〉ている。つまり、どの選択肢を選んだとしても「もっといい選択肢があったのではないか」と考えずにはいられない。そうした状況が、自己肯定感のなさにつながり、現代特有の生きづらさを引き起こしていると指摘する。
それも一理あると思うが、私は少し違う見方をしている。
ネットでのコミュニケーション方法は、主として「テキスト」である。
メール、掲示板、SNSやプロフにしても、おもにテキストでメッセージの交換が行われる。
文章を書くという、誰にでもできることではあるが、高度なテクニックを必要とする不完全な手段によって、ときに誤解や意図を明確に伝えられないことになってしまう。
自分の意思を言葉で書くことは、じつは難しい。また、書かれていることの真意をくみ取ることも難しい。
安易なようで、とても難しい手段でコミュニケーションを成立させようとするから、ちゃんとしたコミュニケーションが成り立たない。
ブログの炎上や、プロフでのトラブルは、その不完全さ、稚拙さから事態が悪化する。
これが会話によるコミュニケーションであれば、言葉足らずであったとしても、ニュアンスが伝わったり、何度もリアルタイムで説明を試みることで、ある程度の真意を伝えられる。
アマチュア無線で、交信中に「炎上」するなんてことはありえない。喧嘩になることはあっても、不特定多数を巻き込むトラブルには発展しない。それはコミュニケーションが完結するからだ。
ネットは、コミュニケーションが完結しない。延々とすれ違いの応酬が続く。それはテキストという不完全な手段に頼っているからだ。
そもそものコミュニケーション手段としてのテキストが不完全でもあるにもかかわらず、成立しないコミュニケーションに対して疎外感や勝手な思いこみをしてしまうこと自体が問題なのだと思う。
現在のネットは、機器やインフラの環境が限られているために、テキスト主体にならざるをえない。つまりは、未成熟なメディアということだ。
映画「マトリックス」の世界のように、バーチャルでありながらバーチャルであることを意識しないような世界が実現したなら、現在のネットの問題などは、ネット世界が未成熟だったがゆえの問題だったと片付けられてしまうのだろう。
(19:06)
2008年04月23日
タバコの自販機で導入される「タスポ」
先行して導入が始まった地域では、自販機の売り上げが激減しているという。
逆にコンビニ等での対面販売での売り上げが上がっているそうだ。
1700万人ともいわれる喫煙者を囲い込むことをもくろんでいた業界は、その意図とは正反対にタバコ離れを加速することになりそうだ。
そんな記事。
たばこ自販機が消える:NBonline(日経ビジネス オンライン)
私も喫煙はするが、タスポを申し込むつもりはない。
今後は自販機でタバコを買うことはなくなるだろう。
自販機を利用することのメリットは、短時間で面倒がなく、最小限の目的を達成できることにある。また、なくなったら1箱だけ買う、という必要最小限の購入が可能なことだ。
ときに切らしてしまうこともあるが、それが自販機の時刻制限で買えない深夜だったりすると、翌朝まで我慢することもある。
ある意味、喫煙する量を自制できるというメリットもあった。
近所のコンビニでは、以前は店の外に自販機を置いてあった。それが現在では店内での対面販売へと変わっている。タスポをにらんでのことではなく、自販機が外にあると、タバコを買う客は店に入ることなく通り過ぎてしまう。店内に移動したことで、私のような客がタバコと一緒に別の買い物もするようになるからだ。
賢明な対処だと思う。
対面販売でもまったく苦にはならないが、1カートン買うかどうかは悩みどころだ。余分のストックがあると、吸う本数が増えてしまいそうだからだ。
全国導入したら、どの程度タスポが普及するかは注目だ。
先行導入したところでは、現時点で30%前後のようだ。多少増えるにしても、50%くらいかもしれない。いずれにしても、100%ということはあり得ないから、自販機の売り上げが落ちることは確実だ。
タバコ業界は、自分の首を絞めることを始めてしまった。
これを機に「禁煙」という人もいるだろう。
それはそれで、いいのかもしれない。
タバコの問題ばかり悪者にされているが、「酒」の自販機も問題だろう。
電車での喫煙は御法度になっているが、飲酒は容認されている。電車のマナーとして、携帯電話はダメ、イヤホンの音漏れはダメ、化粧はダメ……と、いろいろとダメにされているが、どうして飲酒はOKなんだろう?
帰りの電車で、ビールの缶を片手にできあがっている人にときどき出くわすが、酒臭いし、ふんぞり返ってるし、あるときなど床に寝ころんでいることもあった。携帯電話などよりも、はるかに迷惑である。
駅内店舗で酒を売っていたりするから、禁止できないという思惑があるのだろう。
鉄道会社のいうマナーも、ご都合主義なものだと思う。
先行して導入が始まった地域では、自販機の売り上げが激減しているという。
逆にコンビニ等での対面販売での売り上げが上がっているそうだ。
1700万人ともいわれる喫煙者を囲い込むことをもくろんでいた業界は、その意図とは正反対にタバコ離れを加速することになりそうだ。
そんな記事。
たばこ自販機が消える:NBonline(日経ビジネス オンライン)
タスポの作製では、専用申込書に必要事項を記入し、顔写真や身分証明書のコピーを添えて窓口に郵送する必要がある。この煩雑さを嫌う喫煙者は多い。加えて、「店頭での反応で、想定していなかった喫煙者の層が2つあることが分かった。これらの層にタスポ取得を期待するのは難しい」と鹿児島市のたばこ店主は指摘する。
第1の層は、家族に内緒でたばこを吸っている“隠れ喫煙者”だ。主婦や、子供の誕生を機に禁煙をしたことになっているはずの男性などがこれに相当する。「財布にタスポが入っていると、家族に説明がつかないと言われる」。タスポの送付先は自宅に限定されており、家族に内緒で職場などで受け取ることもできない。
もう1つが「たばこをやめたいが、やめられない」喫煙者。タスポの保有は喫煙を続ける意思表示をしたに等しく、抵抗が大きいという。
私も喫煙はするが、タスポを申し込むつもりはない。
今後は自販機でタバコを買うことはなくなるだろう。
自販機を利用することのメリットは、短時間で面倒がなく、最小限の目的を達成できることにある。また、なくなったら1箱だけ買う、という必要最小限の購入が可能なことだ。
ときに切らしてしまうこともあるが、それが自販機の時刻制限で買えない深夜だったりすると、翌朝まで我慢することもある。
ある意味、喫煙する量を自制できるというメリットもあった。
近所のコンビニでは、以前は店の外に自販機を置いてあった。それが現在では店内での対面販売へと変わっている。タスポをにらんでのことではなく、自販機が外にあると、タバコを買う客は店に入ることなく通り過ぎてしまう。店内に移動したことで、私のような客がタバコと一緒に別の買い物もするようになるからだ。
賢明な対処だと思う。
対面販売でもまったく苦にはならないが、1カートン買うかどうかは悩みどころだ。余分のストックがあると、吸う本数が増えてしまいそうだからだ。
全国導入したら、どの程度タスポが普及するかは注目だ。
先行導入したところでは、現時点で30%前後のようだ。多少増えるにしても、50%くらいかもしれない。いずれにしても、100%ということはあり得ないから、自販機の売り上げが落ちることは確実だ。
タバコ業界は、自分の首を絞めることを始めてしまった。
これを機に「禁煙」という人もいるだろう。
それはそれで、いいのかもしれない。
タバコの問題ばかり悪者にされているが、「酒」の自販機も問題だろう。
電車での喫煙は御法度になっているが、飲酒は容認されている。電車のマナーとして、携帯電話はダメ、イヤホンの音漏れはダメ、化粧はダメ……と、いろいろとダメにされているが、どうして飲酒はOKなんだろう?
帰りの電車で、ビールの缶を片手にできあがっている人にときどき出くわすが、酒臭いし、ふんぞり返ってるし、あるときなど床に寝ころんでいることもあった。携帯電話などよりも、はるかに迷惑である。
駅内店舗で酒を売っていたりするから、禁止できないという思惑があるのだろう。
鉄道会社のいうマナーも、ご都合主義なものだと思う。
(17:42)
現在、わが家に新たな居候猫が1匹いる。
19日の土曜日に妻が近所で保護した、尻尾の長い黒猫である。とりあえずの名前が「しっぽ」
保護したその足で動物病院へ直行し、ノミ取りと健康診断(病気の検査)を受け、検査結果が出るまでは、うちのケージの中で隔離されていた。
昨日、検査結果が出て、すべてクリア。
これでケージから出して、他の猫たちと接触しても問題がない。
「しっぽ」は洋猫との雑種のようで、尻尾が普通の日本猫に比べて長い。それで名前を「しっぽ」としてある。
いちおう、これから里親を捜す予定だが、それまではわが家にホームステイだ。
病院代は妻の自腹。そうまでして猫を保護し、里親を捜すのは妻の使命感というか趣味である(^_^;
「しっぽ」は、もともと人懐こい猫だ。それでも爪切りは嫌なようで、伸び放題の爪を切るのに難儀している。
とはいえ、この猫だったら、里親に出しても慣れるのは早いと思う。
猫とつきあうには、猫の特性を知る必要があるが、犬と同じような反応を期待する人も少なくない。
猫は猫なのであるという一例。
ペットナビ:なついてくれない我が家の猫。何とか手なずけたい。 - 毎日jp(毎日新聞)
……というのが、一般的な猫に対する理解だろう。
「手なずける」という発想自体が間違っている。
だが、うちの猫たちはちょっと違う。
12匹の猫たちで、性格や行動パターンはそれぞれで異なるが、上記のような猫ばかりではない。
毎日、帰宅すると玄関まで出迎えに来る猫が数匹いる。まるで犬のように、待ってましたとばかりに愛想がいいのだ。
また、ベッタリと張りついたまま、長い時間そばにいる猫もいる。
夜、寝るときに、布団に入り込んできて、一緒に寝る猫もいる。布団好きの猫は5匹いて、早い者勝ちで毎晩場所取り合戦だ。ときには、3匹が同時に布団に入っていることもある。
うちの猫たちは、けっこうベタベタである(^_^)
19日の土曜日に妻が近所で保護した、尻尾の長い黒猫である。とりあえずの名前が「しっぽ」
保護したその足で動物病院へ直行し、ノミ取りと健康診断(病気の検査)を受け、検査結果が出るまでは、うちのケージの中で隔離されていた。
昨日、検査結果が出て、すべてクリア。
これでケージから出して、他の猫たちと接触しても問題がない。
「しっぽ」は洋猫との雑種のようで、尻尾が普通の日本猫に比べて長い。それで名前を「しっぽ」としてある。
いちおう、これから里親を捜す予定だが、それまではわが家にホームステイだ。
病院代は妻の自腹。そうまでして猫を保護し、里親を捜すのは妻の使命感というか趣味である(^_^;
「しっぽ」は、もともと人懐こい猫だ。それでも爪切りは嫌なようで、伸び放題の爪を切るのに難儀している。
とはいえ、この猫だったら、里親に出しても慣れるのは早いと思う。
猫とつきあうには、猫の特性を知る必要があるが、犬と同じような反応を期待する人も少なくない。
猫は猫なのであるという一例。
ペットナビ:なついてくれない我が家の猫。何とか手なずけたい。 - 毎日jp(毎日新聞)
「人間に対するあいさつも、しっぽ一振り、体を寄せるのも2、3秒で十分に満足するのです」
……というのが、一般的な猫に対する理解だろう。
「手なずける」という発想自体が間違っている。
だが、うちの猫たちはちょっと違う。
12匹の猫たちで、性格や行動パターンはそれぞれで異なるが、上記のような猫ばかりではない。
毎日、帰宅すると玄関まで出迎えに来る猫が数匹いる。まるで犬のように、待ってましたとばかりに愛想がいいのだ。
また、ベッタリと張りついたまま、長い時間そばにいる猫もいる。
夜、寝るときに、布団に入り込んできて、一緒に寝る猫もいる。布団好きの猫は5匹いて、早い者勝ちで毎晩場所取り合戦だ。ときには、3匹が同時に布団に入っていることもある。
うちの猫たちは、けっこうベタベタである(^_^)
(13:16)
2008年04月09日
ケータイ小説からヒット作が出たり、ブログや掲示板から話題になって出版されたりと、デジタルメディアのコンテンツを出版社が本のネタとして探すようになった。
柳の下にドジョウが……何匹出てくるかという話だろう。
とはいえ、「電車男」や「恋空」ほどヒットした作品は少なく、2匹目、3匹目のドジョウは大物ではなかった。
それでも次なる獲物を発掘しようと、躍起になっているようだが、青田買いの様相にもなっている。
現状の構造的なイメージは、「メジャーな出版社」が上位に君臨し、個人が発信する「デジタルコンテンツ・ユーザー(書き手)」が下位にある。
無料の小説サイトで好評な作品を、出版社が拾い上げて出版するという形だ。
無料のサイトに掲載している時点では、書き手に収入は発生しない。そこにあるのは、書き手の「書きたい」「読んでもらいたい」という無報酬の欲求であり、自己表現だろう。
本来なら、サイト内でヒットしていれば、書き手にとっては当初の目的は達成されている。
そこに出版社が、これは売れると商品化を持ちかけるわけだ。
音楽や映画がネットでも配信されているように、書籍もデジタル化してネットで配布されるようになった。もともと、インターネットの基本は「テキスト」であるから、小説などのテキストはネットに載せやすいものだった。
だが、商品としてのデジタル小説(有料コンテンツ)は、現在のところ、あまり成功しているとはいえない状況だ。
ネット発のヒット作は、無名の個人が発信して多くの支持を集めたものだ。
出版社発のデジタル・コンテンツでヒットした作品は少ない。出版社は「本」として形のあるものを出すことに固執するあまり、デジタル・コンテンツとしての販売方法や販売ルートを開拓することを怠ってきたからだろう。
小説をデジタル・コンテンツとして出す場合には、PDFや独自の体裁を用意したリーダーによって配布される。データとしての配布であるため、出版コストは大幅に軽減できるメリットがあるにもかかわらず、出版社はデータ配布に積極的ではない。
音楽がデータ配信され、iTunesが売り上げでトップになっている現在。音楽の販売方法はネット配信が主流になりつつある。
それに比べると、出版界は古い体質から抜け出せないでいる。
出版社の不振や倒産のニュースも、よく見かける。出版点数だけは相変わらず多いものの、ヒット作が少なくなっている。
それに関連した記事を以下に。
おもしろさは誰のものか:「出版界、このままでは崩壊する」――ダイナミックプロ、絶版ラノベ・SFを電子書籍化 (2/2) - ITmedia News
友人・知人に作家や漫画家が何人かいるが、それ専業で食べている人は少ない。
ことに小説だけで食える人は少ないようだ。自分のオリジナルの小説ではなく、ゲームやアニメのノベライズで収入を得ている人もいる。それでも「書く仕事」があるだけマシだろう。
小説の新人の場合、初版で1万部というのは恵まれている方だ。ジャンルや作品内容にもよるが、5千部程度というのも珍しくない。そして、多くの場合、再版されることはない。
作家として食っていくことは、並大抵のことではないのだ。
印税率が10%しかないのは、出版にかかるコストが高いためだ。
デジタル出版であれば、印刷にかかるコストはゼロである。印刷会社は打撃かもしれないが、作家や出版社にとっては自分の取り分を増やせることになる。
在庫の山を抱える必要もなく、必要なだけデータをコピーすればいいだけで、無駄な出版をしなくて済む。
ちなみに、出版物の印税は、基本的に出版部数に対して支払われるので、実売数がどのくらいかは関係ない。返本され、売れ残ったとしても、作家には発行部数分の報酬は支払われる。それは作家にとってはありがたいことだが、返本される出版社にとっては赤字である。効率の悪い販売方法でもあるのだ。
デジタル・コンテンツとしての印税はどのくらいかというと、「まぐまぐプレミアム」の場合には、実売単価に対して60%である。
上記の記事では、「作家に30%、イラストレーターに5%を配分する」という。
イラストレーターにも配分するというのが、新しい試みだ。通常、文庫のカバーのイラストを描いても、印税としてではなく、その仕事に対していくらという形だからだ。その場合、再版されても、イラストレーターには分配はされない。再版、再使用の場合の契約を取り交わすこと自体がないからである。
本の出版よりも、デジタル・コンテンツの印税率の方が多いのは当たり前だろう。
とはいえ、30%でも少ない気がする。まだ試行段階で、利益が見込めないからだろうが、作家の取り分が少なくとも半分はあってしかるべきだ。
その点、「まぐまぐプレミアム」は、書き手(発行者)主体のコンテンツ配布になっている。
実際、「まぐまぐプレミアム」で有料メルマガを発行し、それで生活できている発行者が少ないながらもいる。それは印税率が高いからだ。
仮に、月500円の購読料で、1000人の読者がいれば、月収は30万円になり、そこそこの生活はできる計算だ。
本の出版の場合、この程度の売り上げでは、500円×1000部×10%=5万円にしかならない。
この差は歴然としている。
小説を始めとした「デジタル・テキスト・コンテンツ」は、まだその売り方、効率のいい利益の上げ方のビジネスモデルが確立していない。
出版社がそのビジネスモデルを確立するのか、あるいはネット業界が確立するのか……。
そこにはビジネスチャンスがあると思うのだが……。
柳の下にドジョウが……何匹出てくるかという話だろう。
とはいえ、「電車男」や「恋空」ほどヒットした作品は少なく、2匹目、3匹目のドジョウは大物ではなかった。
それでも次なる獲物を発掘しようと、躍起になっているようだが、青田買いの様相にもなっている。
現状の構造的なイメージは、「メジャーな出版社」が上位に君臨し、個人が発信する「デジタルコンテンツ・ユーザー(書き手)」が下位にある。
無料の小説サイトで好評な作品を、出版社が拾い上げて出版するという形だ。
無料のサイトに掲載している時点では、書き手に収入は発生しない。そこにあるのは、書き手の「書きたい」「読んでもらいたい」という無報酬の欲求であり、自己表現だろう。
本来なら、サイト内でヒットしていれば、書き手にとっては当初の目的は達成されている。
そこに出版社が、これは売れると商品化を持ちかけるわけだ。
音楽や映画がネットでも配信されているように、書籍もデジタル化してネットで配布されるようになった。もともと、インターネットの基本は「テキスト」であるから、小説などのテキストはネットに載せやすいものだった。
だが、商品としてのデジタル小説(有料コンテンツ)は、現在のところ、あまり成功しているとはいえない状況だ。
ネット発のヒット作は、無名の個人が発信して多くの支持を集めたものだ。
出版社発のデジタル・コンテンツでヒットした作品は少ない。出版社は「本」として形のあるものを出すことに固執するあまり、デジタル・コンテンツとしての販売方法や販売ルートを開拓することを怠ってきたからだろう。
小説をデジタル・コンテンツとして出す場合には、PDFや独自の体裁を用意したリーダーによって配布される。データとしての配布であるため、出版コストは大幅に軽減できるメリットがあるにもかかわらず、出版社はデータ配布に積極的ではない。
音楽がデータ配信され、iTunesが売り上げでトップになっている現在。音楽の販売方法はネット配信が主流になりつつある。
それに比べると、出版界は古い体質から抜け出せないでいる。
出版社の不振や倒産のニュースも、よく見かける。出版点数だけは相変わらず多いものの、ヒット作が少なくなっている。
それに関連した記事を以下に。
おもしろさは誰のものか:「出版界、このままでは崩壊する」――ダイナミックプロ、絶版ラノベ・SFを電子書籍化 (2/2) - ITmedia News
作家は低収入で不安定な職業だという。「小説だけ書いて食べている人は、日本に5人もいないのではないか。小説家や漫画家には、JASRAC(日本音楽著作権協会)のように権利を集中管理して収益を上げている団体もない。『先生』などと呼ばれるが、作家は実質、出版社の下請けでしかない」と幸森さんは話す。
例えば、半年かけて小説を書き下ろし、700円の文庫で1万冊売るとする。印税率を10%で計算すると、印税収入は70万円。年2冊書くとして年収は140万円。純文学の作家なら、1〜3年に1冊というペースも珍しくない。「ある作家が税務署に確定申告に行ったら、『生活保護を受けたほうがいい』と言われた、なんて笑い話もある」
友人・知人に作家や漫画家が何人かいるが、それ専業で食べている人は少ない。
ことに小説だけで食える人は少ないようだ。自分のオリジナルの小説ではなく、ゲームやアニメのノベライズで収入を得ている人もいる。それでも「書く仕事」があるだけマシだろう。
小説の新人の場合、初版で1万部というのは恵まれている方だ。ジャンルや作品内容にもよるが、5千部程度というのも珍しくない。そして、多くの場合、再版されることはない。
作家として食っていくことは、並大抵のことではないのだ。
印税率が10%しかないのは、出版にかかるコストが高いためだ。
デジタル出版であれば、印刷にかかるコストはゼロである。印刷会社は打撃かもしれないが、作家や出版社にとっては自分の取り分を増やせることになる。
在庫の山を抱える必要もなく、必要なだけデータをコピーすればいいだけで、無駄な出版をしなくて済む。
ちなみに、出版物の印税は、基本的に出版部数に対して支払われるので、実売数がどのくらいかは関係ない。返本され、売れ残ったとしても、作家には発行部数分の報酬は支払われる。それは作家にとってはありがたいことだが、返本される出版社にとっては赤字である。効率の悪い販売方法でもあるのだ。
デジタル・コンテンツとしての印税はどのくらいかというと、「まぐまぐプレミアム」の場合には、実売単価に対して60%である。
上記の記事では、「作家に30%、イラストレーターに5%を配分する」という。
イラストレーターにも配分するというのが、新しい試みだ。通常、文庫のカバーのイラストを描いても、印税としてではなく、その仕事に対していくらという形だからだ。その場合、再版されても、イラストレーターには分配はされない。再版、再使用の場合の契約を取り交わすこと自体がないからである。
本の出版よりも、デジタル・コンテンツの印税率の方が多いのは当たり前だろう。
とはいえ、30%でも少ない気がする。まだ試行段階で、利益が見込めないからだろうが、作家の取り分が少なくとも半分はあってしかるべきだ。
その点、「まぐまぐプレミアム」は、書き手(発行者)主体のコンテンツ配布になっている。
実際、「まぐまぐプレミアム」で有料メルマガを発行し、それで生活できている発行者が少ないながらもいる。それは印税率が高いからだ。
仮に、月500円の購読料で、1000人の読者がいれば、月収は30万円になり、そこそこの生活はできる計算だ。
本の出版の場合、この程度の売り上げでは、500円×1000部×10%=5万円にしかならない。
この差は歴然としている。
小説を始めとした「デジタル・テキスト・コンテンツ」は、まだその売り方、効率のいい利益の上げ方のビジネスモデルが確立していない。
出版社がそのビジネスモデルを確立するのか、あるいはネット業界が確立するのか……。
そこにはビジネスチャンスがあると思うのだが……。
(17:01)
2008年04月08日
4月になり、春の新番組が続々と始まっている。
アニメに関していえば、新番組が40本もある。
多すぎだ(^_^;
とりあえず、第1話はチェックしているが、継続して見ようという気になる作品……つまり、面白そうな作品は少ない。
個別の作品については、後日書きたいと思うが、傾向として新鮮味に欠け、小粒ぞろいだ。多くは原作付きだが、その原作が古いものであったり、過去の作品の続編だったりする。
アニメとしてオリジナルの作品は少なく、これは制作側がリスクを避けているためだろう。原作で一定の人気があれば、リスクも少ないという考え方だ。だが、その原作となりうるマンガや小説も少なくなっているという。
テレビ放映だけで収益を上げるのではなく、のちにDVD化して商品として収益を上げるのが通例だが、これだけ量産すれば市場が飽和してしまうことは自明の理だ。
また、多くの作品がハイビジョン制作をしているが、ブルーレイ・レコーダーを持っていれば、ハイビジョン画質での録画が可能であり、市販される通常のDVDよりも映像品質が良いものが残せる。コレクターはDVDを買うかもしれないが、映像品質が放映時のハイビジョン画質より劣るDVDを買うことのメリットは少ない。
DVDからブルーレイへの移行期にある現在は、商品としてのDVDを売りにくい時期でもある。
新番組の中には、放映と同時進行でネット配信をする作品も出てきた。
映像的には劣化するが、地方で見られない人や、見逃した人にはいいのかもしれない。
デジタルメディアのコピー回数を制限する「ダビング10」は、6月から施行される。
しかし、この方法は、恩恵があるようでユーザーにとっては、あまりメリットのあるものではない。HDDに録画した番組から、直接ブルーレイに書き出すことしかできないため、HDD内から消去するとコピーはできなくなってしまう。
HDDの容量は限りがあるから、いつまでも残しておくことはできない。ブルーレイに書き出したものから、さらにコピーを取ることはできないので、傷つきやすいブルーレイが損傷したら、どうしようもなくなる。それを見越して、HDDから消去する前にバックアップとして複数枚のコピーを残しておかなくてはいけないことになる。書き込み用ブルーレイ・ディスクが、まだ高価であるため、その出費は痛い。
デジタルメディアの著作権が、このことに大きく関わっているのだが、無料放送にコピー制限を設けているのは日本だけだそうだ。それは放送局が、既存のビジネスモデルに固執して、守ろうとしているためだという。(詳しくは、小寺信良氏に聞く「ダビング10って、何が問題なんですか?」/ASCII.jp トレンド)
それに関連した記事を以下に。
NIKKEI NET 特集/デジタル社会に求められる新しい著作権とは
現状では「トレレイテッド・ユース」の考え方は、日本の放送局は拒絶している。
番組の冒頭に、注意事項として「ネットに配信することは違法です」というようなことを明記していたりする。
放送局は、そろそろ無料放送という方法を考え直すべきではないだろうか?
無料であるがゆえに、視聴率が気になり、視聴率稼ぎのためにねつ造や、各局横並びの番組内容になってしまうのではないだろうか。
有料放送であるなら、コピー制限を設けるのも納得がいく。ただし、有料放送ならCMはなしにしてほしいけどね。
有料放送も、番組ごとに購入するかどうかを選べるようにしてほしい。
デジタルとネット環境を併用すれば、そうした双方向の対処も可能なはずだ。
そうすれば、現状の視聴率のようにサンプリングとしてのデータではなく、どれだけ売れているかが実数としてわかるようになる。
著作権を振りかざしてユーザーを悪者扱いするのではなく、コピーフリーにしつつ、収益を上げていくビジネスモデルを構築するのが、次世代のテレビだろう。
「ダビング10」は、日本国内だけのローカルルールである。
世界基準という点からいえば、日本のユーザーは著作権者から虐げられ、海外のユーザーが有する権利を剥奪されているということだ。
そのことは、著作権者が国内ではユーザーの権利を制限し、海外では許容するというダブルスタンダードにもなる。
著作権を主張するのなら、世界基準で公正・平等であってもらいたい。
アニメに関していえば、新番組が40本もある。
多すぎだ(^_^;
とりあえず、第1話はチェックしているが、継続して見ようという気になる作品……つまり、面白そうな作品は少ない。
個別の作品については、後日書きたいと思うが、傾向として新鮮味に欠け、小粒ぞろいだ。多くは原作付きだが、その原作が古いものであったり、過去の作品の続編だったりする。
アニメとしてオリジナルの作品は少なく、これは制作側がリスクを避けているためだろう。原作で一定の人気があれば、リスクも少ないという考え方だ。だが、その原作となりうるマンガや小説も少なくなっているという。
テレビ放映だけで収益を上げるのではなく、のちにDVD化して商品として収益を上げるのが通例だが、これだけ量産すれば市場が飽和してしまうことは自明の理だ。
また、多くの作品がハイビジョン制作をしているが、ブルーレイ・レコーダーを持っていれば、ハイビジョン画質での録画が可能であり、市販される通常のDVDよりも映像品質が良いものが残せる。コレクターはDVDを買うかもしれないが、映像品質が放映時のハイビジョン画質より劣るDVDを買うことのメリットは少ない。
DVDからブルーレイへの移行期にある現在は、商品としてのDVDを売りにくい時期でもある。
新番組の中には、放映と同時進行でネット配信をする作品も出てきた。
映像的には劣化するが、地方で見られない人や、見逃した人にはいいのかもしれない。
デジタルメディアのコピー回数を制限する「ダビング10」は、6月から施行される。
しかし、この方法は、恩恵があるようでユーザーにとっては、あまりメリットのあるものではない。HDDに録画した番組から、直接ブルーレイに書き出すことしかできないため、HDD内から消去するとコピーはできなくなってしまう。
HDDの容量は限りがあるから、いつまでも残しておくことはできない。ブルーレイに書き出したものから、さらにコピーを取ることはできないので、傷つきやすいブルーレイが損傷したら、どうしようもなくなる。それを見越して、HDDから消去する前にバックアップとして複数枚のコピーを残しておかなくてはいけないことになる。書き込み用ブルーレイ・ディスクが、まだ高価であるため、その出費は痛い。
デジタルメディアの著作権が、このことに大きく関わっているのだが、無料放送にコピー制限を設けているのは日本だけだそうだ。それは放送局が、既存のビジネスモデルに固執して、守ろうとしているためだという。(詳しくは、小寺信良氏に聞く「ダビング10って、何が問題なんですか?」/ASCII.jp トレンド)
それに関連した記事を以下に。
NIKKEI NET 特集/デジタル社会に求められる新しい著作権とは
米国の著作権法に規定されているフェアユースとは、使用する目的がフェア(公正)であれば、著作物の複製をしてもよいという考え方です(※)。判例は古くからあります。フェアユースをめぐる最も有名な裁判は、日本の家電メーカーがVTRを開発、販売したとき、米国の映画会社が違法な複製録画を助ける装置だとしてその家電メーカーを訴えた、1984年の裁判です。しかし、番組の視聴時間をずらす「タイムシフト」はフェアユースに該当するとして、最高裁は著作権侵害を認めず、家庭用ビデオの違法化を阻止しました。フェアユース自体は、1976年に行なわれた米国著作権法の改正の際に条文化されています。
※米国著作権法第107条。フェアユースに該当するかは、(1)利用の目的と性格、(2)著作物の性質、(3)利用部分の量と重要性、(4)利用が潜在的市場に及ぼす影響、の4要件によって判断される
(中略)
フェアユースがスタートラインだとすると、米国はすでにその先へ進んでいます。コロンビア大学のティム・ウー教授が提唱している、「トレレイテッド・ユース(許容された使用)」という概念です。これは例えば、ユーチューブが持つ高いパブリシティー効果を得るために、ユーチューブに投稿された動画が明らかに著作権侵害であっても、権利者があえて動画の削除を要請せず、黙認する現象を指したものです。
現状では「トレレイテッド・ユース」の考え方は、日本の放送局は拒絶している。
番組の冒頭に、注意事項として「ネットに配信することは違法です」というようなことを明記していたりする。
放送局は、そろそろ無料放送という方法を考え直すべきではないだろうか?
無料であるがゆえに、視聴率が気になり、視聴率稼ぎのためにねつ造や、各局横並びの番組内容になってしまうのではないだろうか。
有料放送であるなら、コピー制限を設けるのも納得がいく。ただし、有料放送ならCMはなしにしてほしいけどね。
有料放送も、番組ごとに購入するかどうかを選べるようにしてほしい。
デジタルとネット環境を併用すれば、そうした双方向の対処も可能なはずだ。
そうすれば、現状の視聴率のようにサンプリングとしてのデータではなく、どれだけ売れているかが実数としてわかるようになる。
著作権を振りかざしてユーザーを悪者扱いするのではなく、コピーフリーにしつつ、収益を上げていくビジネスモデルを構築するのが、次世代のテレビだろう。
「ダビング10」は、日本国内だけのローカルルールである。
世界基準という点からいえば、日本のユーザーは著作権者から虐げられ、海外のユーザーが有する権利を剥奪されているということだ。
そのことは、著作権者が国内ではユーザーの権利を制限し、海外では許容するというダブルスタンダードにもなる。
著作権を主張するのなら、世界基準で公正・平等であってもらいたい。
(17:40)
2008年04月04日
喫煙は社会悪になっているようだ。
喫煙の害はわかるし、吸わないにこしたことはない。
しかし、喫煙者が皆肺ガンになるわけではなく、喫煙していなくても肺ガンになる場合もある。
その理由が遺伝子的にわかったというニュース。
肺がんリスク遺伝子発見=「喫煙量に関係」との指摘も−欧米3チーム(時事通信) - Yahoo!ニュース
このYahoo!のニュースの下には、コメント欄があり、いろいろな意見が書かれている。
「喫煙反対」が大勢であり、喫煙および受動喫煙の害悪を主張している。
だが、ちょっと待て。
以下のようなデータがある。
●喫煙によるガンの死亡率が、1.5倍〜2.5倍。
http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/02/kit.html
●飲酒による飲酒関連ガンの死亡率が、毎日1合程度飲む場合で4倍〜5倍。
http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/04/inshto.html
というデータがある。
喫煙もしくは受動喫煙で即死することはないが、飲酒運転や酩酊による転落事故などでは即死(当人だけではなく巻き込まれた人も)することがある。
リスクという観点からいえば、タバコよりも飲酒の方がリスクが高い一面がある。
それなのに、タバコは規制される方向に進み、飲酒にはタバコのような過度な規制がされることはない。
禁煙には賛成だが、同等かそれ以上のリスクがあると思われる飲酒の問題も論じてほしい気がする。
喫煙反対の意見を、「タバコ」を「酒」、「喫煙」を「飲酒」に置き換えてみたらどうだろう?
それなりに道理になるのだ。
飲酒運転による悲惨な事故があとを絶たない割には、飲酒は社会悪として見られないし、禁酒といった厳しい規制もされない。
「2005年の全国での飲酒運転取締件数は約14万件となり1日平均で380件超」(警察庁の発表)というのが過去のデータだ。2006年は13万件ほどに減ってはいるが。
けっして少なくない数字だと思うのだが……。
禁酒運動は……起こらないだろうな。
喫煙の害はわかるし、吸わないにこしたことはない。
しかし、喫煙者が皆肺ガンになるわけではなく、喫煙していなくても肺ガンになる場合もある。
その理由が遺伝子的にわかったというニュース。
肺がんリスク遺伝子発見=「喫煙量に関係」との指摘も−欧米3チーム(時事通信) - Yahoo!ニュース
この個人差は15番染色体の「長腕」と呼ばれる部分にあり、肺胞などにあるたんぱく質「ニコチン性アセチルコリン受容体」を構成する「CHRNA3」などの遺伝子がかかわる。2カ所のDNA塩基の種類が、肺がん患者では特定のタイプである割合が高かった。
このYahoo!のニュースの下には、コメント欄があり、いろいろな意見が書かれている。
「喫煙反対」が大勢であり、喫煙および受動喫煙の害悪を主張している。
だが、ちょっと待て。
以下のようなデータがある。
●喫煙によるガンの死亡率が、1.5倍〜2.5倍。
http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/02/kit.html
●飲酒による飲酒関連ガンの死亡率が、毎日1合程度飲む場合で4倍〜5倍。
http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/04/inshto.html
というデータがある。
喫煙もしくは受動喫煙で即死することはないが、飲酒運転や酩酊による転落事故などでは即死(当人だけではなく巻き込まれた人も)することがある。
リスクという観点からいえば、タバコよりも飲酒の方がリスクが高い一面がある。
それなのに、タバコは規制される方向に進み、飲酒にはタバコのような過度な規制がされることはない。
禁煙には賛成だが、同等かそれ以上のリスクがあると思われる飲酒の問題も論じてほしい気がする。
喫煙反対の意見を、「タバコ」を「酒」、「喫煙」を「飲酒」に置き換えてみたらどうだろう?
それなりに道理になるのだ。
飲酒運転による悲惨な事故があとを絶たない割には、飲酒は社会悪として見られないし、禁酒といった厳しい規制もされない。
「2005年の全国での飲酒運転取締件数は約14万件となり1日平均で380件超」(警察庁の発表)というのが過去のデータだ。2006年は13万件ほどに減ってはいるが。
けっして少なくない数字だと思うのだが……。
禁酒運動は……起こらないだろうな。
(00:00)
2008年04月01日
ブラックホールといえば、巨大な恒星のなれの果てで、巨大な重力によって周囲の物質を飲み込んでいく……恐怖の星というイメージだろうか。
昔のSFには、ブラックホールをネタにした作品がけっこうあった。
巨大質量のブラックホールだけではなく、マイクロブラックホールなんてのも仮想されていた。
質量の小さなブラックホールがマイクロブラックホールだが、それを人工的に作ろうとしているという。
NIKKEI NET(日経ネット):「加速器で地球消滅」・米の元政府職員ら提訴
思わず「プッ」と笑ってしまった(^_^;
そういえば、こんなSFがあった。
科学者が作ったマイクロブラックホールが、地球に落ちてしまって、地球の内部を公転し出す……というストーリーだったと思う。マイクロブラックホールは地球の内部を回りながら成長を続け、やがて地球を飲み込んでしまう。
しかし、現在可能となっている人工ブラックホールは、安定的に存在できず、ホーキング放射によってすぐに蒸発してしまうそうだ。蒸発させないためには、マイクロブラックホールを「太らせる」必要があり、いわばマイクロブラックホールをどうやって「育てるか」が問題だという。
関連して、こんな記事もあった。
光ファイバー内部で「模擬ブラックホール」を作成 | WIRED VISION
こちらは擬似的なブラックホールということで、作用するのは光だけらしい。
擬似的でも、事象の地平面が再現できるとしたら、空間の歪みや時間の遅延といった実験も可能になるのだろう。
思いっきり飛躍すれば、それはタイムマシンの原理につながるのかもしれない。
遠い宇宙の話だと思っていたブラックホールが、身近なところで存在する時代になったということか。
昔のSFには、ブラックホールをネタにした作品がけっこうあった。
巨大質量のブラックホールだけではなく、マイクロブラックホールなんてのも仮想されていた。
質量の小さなブラックホールがマイクロブラックホールだが、それを人工的に作ろうとしているという。
NIKKEI NET(日経ネット):「加速器で地球消滅」・米の元政府職員ら提訴
【ワシントン30日共同】欧州合同原子核研究所(CERN)がスイス・フランス国境で建設中の巨大加速器で生成されるブラックホールに、地球がのみ込まれる恐れがある――。こう主張するハワイ在住の元米国政府職員らが、CERNや米エネルギー省などを相手に計画の差し止めを求める訴訟を、ハワイ連邦地裁に起こした。米ニューヨーク・タイムズ紙が29日報じた。
加速器は一周27キロで世界最大の「大型ハドロン衝突型加速器」(LHC)。陽子同士を衝突させて質量の元になる未発見の粒子を確認するなどの物理実験を、今年夏から始める。CERNなどによると、極小のブラックホールをつくる計画はあるが、短時間で消滅し、深刻な影響が出る可能性はないという。
訴えたのは米退役軍人省の元放射線安全担当官ウォルター・ワグナー氏ら。生成された数多くの極小ブラックホールが融合して大きくなったり、接触した物質を高密度の塊に変えてしまう仮説上の粒子が発生したりして、地球が壊滅する可能性があるとしている。(30日 15:21)
思わず「プッ」と笑ってしまった(^_^;
そういえば、こんなSFがあった。
科学者が作ったマイクロブラックホールが、地球に落ちてしまって、地球の内部を公転し出す……というストーリーだったと思う。マイクロブラックホールは地球の内部を回りながら成長を続け、やがて地球を飲み込んでしまう。
しかし、現在可能となっている人工ブラックホールは、安定的に存在できず、ホーキング放射によってすぐに蒸発してしまうそうだ。蒸発させないためには、マイクロブラックホールを「太らせる」必要があり、いわばマイクロブラックホールをどうやって「育てるか」が問題だという。
関連して、こんな記事もあった。
光ファイバー内部で「模擬ブラックホール」を作成 | WIRED VISION
イギリスの科学者が、光ファイバーケーブルの内部でブラックホールをシミュレートした。これによって、ブラックホールの外縁である「事象の地平面」[光速で到達できず、そこより先の情報を知ることはできない領域の境界を指す]の向こう側で光がどうなるのかを研究できる可能性が生まれた。
こちらは擬似的なブラックホールということで、作用するのは光だけらしい。
擬似的でも、事象の地平面が再現できるとしたら、空間の歪みや時間の遅延といった実験も可能になるのだろう。
思いっきり飛躍すれば、それはタイムマシンの原理につながるのかもしれない。
遠い宇宙の話だと思っていたブラックホールが、身近なところで存在する時代になったということか。
(12:05)









