スマホとタブレットの境界線

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スマホの画面が大型化しつつあるが、どこまで大きくなるんだろう?…と思う。
4インチでも手のひらにはデカイと思ったが、ついに6インチを超えた機種が出てきた。

2013 International CES:6.1インチスマホやWindows Phone 8搭載モデルを展示するHuawei (1/2) – ITmedia Mobile

 ブースで最も注目を浴びていたのは、6.1インチというスマホ最大級のディスプレイを搭載しているAscend Mateだ。ディスプレイが大型化したことで本体サイズも大きくなり、ボディの横幅は約85ミリ。

Ascend Mate

Ascend Mate

こうなってくると、スマホとタブレットの境界線はどこなのか?……という大きさになってくる。縦横比が違うから、一概には比較できないが「7インチ」が境界線なのかもしれない。

タブレットに関しては、先行したiPadが10インチだったことから、スマホとの間を埋める7インチ前後が登場した。故ジョブズ氏は、7インチタブレットを酷評していたが、他社が隙間サイズの7インチ前後で攻勢をかけてきたことで、AppleもiPad miniを出さざるをえなくなったようだ。

スマホの画面が大きくなる方向に向かっているのは、「見る」ためのデバイスとしての比重が高くなっているからだ。小さい画面より大きい画面の方が見やすい、という単純な話。
スマホ以前のケータイ時代には、いかに小さくするかという小型化に向かっていた時期もあった。小さく小さく、半分に折りたためばさらに小さくなる……という具合に。

今後、スマホは小型化に向かうことは考えにくい。
他社との差別化の意味では、大型化するしかない。6.1インチが出たなら、他社は6.5インチ、6.9インチと7インチに近づいていくのだろう。

タブレットも、今後は画面が大きくなる方向に向かうと予測される。すでに27インチサイズは出ているが、課題は「重さ」
携帯性を前提としたタブレットでは、重いのが足かせになっている。
画面のベースとなる液晶は、丸められるものや折りたためるものが、試作品としては登場している。持ち運び時には丸めるか折りたたんでコンパクトにして、使用時に画面を広く展開するというタブレットもいずれは出てくるのだろう。

スマホやタブレットは、持ち運べることが重宝されている。
なぜ、持ち運べることが重要かというと、「移動」する必然性があるライフスタイルになっているからだ。
それは、「通勤」「通学」だ。
移動するときも、移動した先でも使えるデバイスとして、スマホやタブレットが必要になっている。
また、ひとりひとりが「集団」の中ではなく、「個」の中に浸っていたいという欲求もあるのかもしれない。「個」というより、「孤」あるいは「虚」のような気もする。

喫茶店で、仕事や趣味の仲間と会うことがよくあるが、早めに着いたときに周囲の人たちを観察していると、カップルとおぼしき若い男女がいることがある。
ふたりは1つのテーブルに向かい合って座っているが、話をするわけでもなく、それぞれが自分のスマホを手にして、もくもくとなにがしか打ち込んでいる。
私が喫茶店を出るときも、そのカップルはスマホに向かっていた。デートだったのかどうかは定かではないが、ただ一緒にそこにいるというのが、彼らのデートなのかもしれないと思った。

スマホ、タブレットの普及は、毎日移動しなくてはいけないといったライフスタイルによってもたらされているといってもいい。加えて、携帯端末だけで事足りるような環境だ。
デスクトップPCやノートパソコンの需用は減少傾向にある。
会社ではPCを使うけれども、自宅ではスマホかタブレットで間に合うという人も多くなったようだ。

在宅ワーク……今風に言うと「ノマドワーキング」あるいは「ノマド」と短縮するが、会社に行かなくても自宅で仕事ができるような環境になったら、求められる機器の形態も変わってくると思う。
在宅ワークについては、もう10~15年くらい前から、ときどき話題になっていた。当時、インターネット環境は今ほど便利ではなかったが、在宅ワークをする人が時代の最先端として紹介されたりもした。
ネット環境がよくなったのに、いまだに在宅で仕事をすることは主流にはなっていない。相変わらず、毎朝の満員電車で押し競饅頭(おしくらまんじゅう)を続ける日々。

私の仕事は、ほとんどがデジタルデータで行われ、完成した仕事もデータで納品する。じつのところ、自宅で仕事をすることは可能だ。そのための環境は整っている。
朝夕の通勤にかける時間と労力は、はっきりいって無駄。
無駄だと思いつつも、会社に行って仕事をしなくてはならない。「働く」ということ、「会社員である」「雇用されている」ということを、実感するために通勤しているような気さえする。小さな会社だが、「会社」もひとつのコミュニティで、嫌な同僚がいたとしても、会社に属していることの実感が必要だとも思う。

現在の会社に勤めるようになる前は、10年あまりフリーランスで仕事をしていた。
つまり、自宅が仕事場だったのだ。
某大手出版社から仕事をもらって、細々と仕事をしていた。納期はあるが、納期に間に合いさえすれば、時間の使い方は自由、満員電車とは無縁、寝たいときに寝て、仕事をしたいときにすればよかった。
収入は現在の会社員よりも多かった。月によって増減はあったものの、多いときは現在の給料の倍くらいだった。年中無休だが、実質的には週のうち2~3日仕事すれば納期は間に合わせられた。
出版がデジタルに移行し始めた時期で、DTPに長けたデザイナーが不足していたため重宝された。しかし、本格的にデジタル化されていくと、そのための人材を出版社内部に採用するようになり、逆に私の仕事は減った。当然の流れだ。
フリーでは収入が激減してしまったため、会社員に戻ることになった。

だから、ノマドワーキングがどんなものになるかはわかるつもりだ。
自宅で仕事をするのは「自由」ではあるものの「自己管理」が難しい面もある。会社に行けば、否応なく時間を束縛されるし、仕事をしなくてはいけないという強制力が働く。
ノマドでは自分を律するのは自分自身になる。そういう意味では、強い意志が必要になるし、仕事に対する意欲や責任感も必要だ。
だが、「解放感」もある。
通勤や会社という呪縛から解き放たれる解放感だ。
もう一度、その解放感のある環境で仕事がしたいものだ。そのための下準備はしている。

……と、話がそれていると思われるかもしれないが、これは伏線(笑)。
日本の会社社会ではノマドが一般的になるのは難しいかもしれないが、通勤する必然性がなくなればライフスタイルは変わる。
自宅で仕事ができるようになると、自宅でPCを使うようになる。仕事ベースでは、スマホやタブレットでは足りない部分も出てくる。
そういうライフスタイルになれば、テーブル・タブレットのような機器が必要になってくる……というわけ。
タブレットの画面サイズが巨大化したらという極端な例だ。
グラフィックデザイナーにとっては、直感的な操作のできる巨大タブレットは魅力的な機器になる。
自宅で株やFXなどをする人にもいいだろう。

スマホとタブレットの境界線は曖昧になり、画面サイズは大きくなる方向に向かう。その過程で、スマホでもないタブレットでもない、新たな端末が登場するのかもしれない。

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