諫山裕の仕事部屋〈blog〉
HOME(書斎)迷い猫.NETNOVEL AIR(SF&Fantasy小説創作サークル)空想科学的絵空事

映画・アニメ

2008年06月21日

 給与格差なんてのがいわれているが、格差は昔からあった。
 いわゆる金持ちと貧乏人。
 有史以来、経済というものが発生してから格差はあった。それが階級や身分を生み出すことにもなったが、富というパイには限りがあり、それを取り合うのが社会でもある。
 資本主義だから格差が生じるわけでもなく、共産主義社会にも格差はあった。平等の概念が生まれて、格差が問題になってきたが、共産主義が目指したものは、実質的には「みんなで貧乏しましょう」……だったから破綻してしまったともいえる。

 水は高いところから低いところに流れる。
 しかし、人材は低いところから高いところに流れるようだ。
 そんな記事。
なぜなら、給料が安いから - 思索の副作用 - Tech-On!
 この、少なくとも80年代から続く「同業他社より給料が安い」ということが、会社にじわじわとダメージを与えてきたのではないかと私は思う。一般に、業績が悪くなれば給料を抑える。それが一時的なものであればいいけれど、給料格差がいつまでも埋まらなければ、優秀な人材は来なくなる。現にいる社員も、腕に覚えのある人から歯が抜けるようにいなくなっていくだろう。この結果、さらに業績は悪くなり、経営者はさらなる給与抑制に走る。まさに悪循環である。

 ふと思う。業績が給与を決めるのではなく、逆に給与が業績を決めるのではないかと。この疑問をあるベンチャー企業の創業社長にぶつけてみると「うーん、そうかもしれない。確かに、給料を抑えすぎたから会社が潰れたって話はよく聞くけど、給料が高すぎて潰れたっていう話は聞かないもんなぁ」などとおっしゃる。

 私は何度か転職してきたが、選択肢がいくつかあるときには、やはり給料のいい方を選ぶ。
 アニメ業界を去ることになったのも、食えないことが原因だった。アニメーターになる前は、普通の会社に勤めていたから、その貧乏さ加減にかなり落ち込んだものだ。
 それは屈辱的であり、あまりに惨めだった。
 「私はここでなにをしているのだ」と、何度も自分に問いかけたものだった。
 普通に生活がしたい。
 当時、つきあい始めていた妻のためにも、当たり前の収入が必要だった。

 どんな会社であっても、優秀な人材を求める。
 しかし、その代価としての給与には差がある。出せる出せないといった問題もあるだろうが、会社の考える優秀な人材に対するスタンスがどうなのか、というのが給与に現れているともいえる。
 デザイン業界でも、給与はピンキリだ。
 それは業界の中で、会社がどういう位置づけにあるかの反映でもある。
 電通のような広告代理店の元締めであれば、給与は破格だ。一方、下請けや孫請けのデザイン会社では、格段に給与は下がる。その格差は、3倍〜5倍にもなる。やっている仕事の規模も違う。
 優秀な人材は高いところに流れる。
 私を含めて、それほど優秀ではない人材は、安い給与の会社で働くことになる。給与が安くても、レベルの高い仕事をする……というのは理想論であって、現実には勝負にはならない。
 なぜなら、普段から高いレベルで、高いクオリティを求められる仕事をする機会がないから、腕を磨くことにもならない。いいアイデアを思いついたとしても、「予算がないから」という理由から、金がかかる仕事は成立しない。結局、低予算でお茶を濁した仕事しかできないのだ。
 デザインセンスを磨くにも、貧乏性では発想も貧困になってしまう。
 格差は、給与だけではなく、創造性にも影響するのが現実なのだ。

(22:26)

2008年06月20日

 アニメ業界の低賃金のことは、これまでも書いてきたが、以下のような記事があっても、大きく改善されることはないだろうね。
<最低賃金>755円に引き上げ提案へ 政府(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
07年の水準に当てはめると、全国平均の687円(1時間当たり)を755円に引き上げる必要がある。20日の円卓会議に提案するが、使用者側は経済状況を理由に難色を示す可能性がある。

 有名どころのアニメ制作会社なら、まだいいのだが、下請けの会社は悲惨である。
 動画のアニメーターは歩合給なので、一枚描いていくら、という計算で給料が出る。
 20年前、私がアニメーターをやっていた頃は、1枚100円だった。それで初任給は3万円……。新人だったため描き直しも多く、量をこなせなかったからだ。時給で計算すると、労働時間が25日×12時間=300時間で、30000円÷300時間=100円であった。

 歩合給でも、最低賃金は保証することと定められている。
最低賃金制度について
歩合給の場合も、実際に支払った賃金の1時間当たりの単価が629円以上になっていなければなりません。

 アニメ制作会社が法律違反をしていることは明白だが、それで罰せられて未払い賃金を払ったなんていう話は聞いたことがない。

 少し前にテレビで、相撲の新弟子についての密着取材があった。
 新弟子の初任給は4万円だった。
 だが、力士の場合とアニメーターの場合とでは、条件が大きく違う。力士は相撲部屋に属し、住むところと食べることは保証されている。
 対して、アニメーターは住むところも食費も自腹だ。20年前は、家賃1万円なんていう激安ボロ物件があったりしたが、現在はかなり厳しいだろう。それでも、3万円のうち1万円が家賃、残り2万円で光熱費や食費をまかなえるはずがないのだ。多くの人は、親に仕送りしてもらっていた。働いているのに生活できないということでは、現在のネットカフェ難民よりも貧しい状況だともいえる。

 現在も、その状況はあまり変わっていないようだ。
FujiSankei Business i. エンターテインメント/日本のアニメ、低賃金・人材不足に歯止め
「時給換算した収入は優秀な原画マンで540円、優秀な作画監督で800円。それより低い人もいる」と芦田代表は説明した。

 原画マンはまだいいのだよ。動画マンは、その半分以下だから。
 最低賃金を決めるのはいいが、それが実効性のあるものにしてほしい。守らなくても、まかり通ってしまうようでは、意味がないと思う。

(13:51)

2008年06月19日

 ダビング10の開始が、著作権者とメーカー側との折り合いがつかず、開始のめどが立っていない。
 どちらの言い分もわかるのだが、ユーザーの意向というのはまったく反映されていないようだ。
 その関連記事。
「ダビング5でもタイムシフトでも製作者への還元は必要」
 テレビなどで放送される映画について同協会は、「タイムシフト目的での録画など、一定限度でコピーされることが避けられない」とする一方、「そのコピーが映画製作者に何らのフィードバックの無いまま行なわれることは正当ではない」とする。

 タイムシフトでも金を取るのか?
 著作権者の気持ちもわからないではないが、少々強欲すぎないだろうか?

 地上波の無料放送なら、放映権料を高くすればいいのではないか?
 有料放送の場合には、視聴料とタイムシフトでの料金と、二重に課金されることになる。複数回タイムシフトで見れば、その回数分だけ課金なのか?
 それを考えると、Blu-rayとして作品を買っても、それを見るたびに課金されることと同等のような気がする。
 どうも腑に落ちない。

 著作権料というビジネスモデルそのものが、すでに時代に合わなくなっているのだろう。
 アプリケーションはオープンソースの時代で、基本的には無料だが収益を上げるためのビジネスモデルは別にある。

 古くからの著作権料は、1次販売物から収益を上げるものだった。
 書籍がその典型で、新刊は著作者の収益となるが、古本として古本屋に並ぶと著作者への還元はない。これは現行のCDやDVDでも同様だ。
 それが現在では、デジタルで劣化のない複製ができるようになり、コピーでもオリジナルと遜色のないものが出回るようになった。
 かつてのビデオテープの時代は、アナログのために劣化が著しく、オリジナルの商品価値の方が高かった。そのため私的なコピーは容認され、大きな問題になることはなかった。
 技術の進歩が、著作権のあり方を問うことになったのだ。

 ある意味、著作権ビジネスは、際限なく利益を上げられる、ネズミ講に似ている。
 1次販売物、2次販売物、そのコピー、その孫コピー、その曾孫コピー……と、コピーできるだけ収益を上げよう……というのが、著作権者の求めているものだろう。
 普通の生産物では、こういうビジネスモデルは成立しない。
 たとえば、農産物。
 お米を生産した人が、まず農協に納めて収益を上げる。続いて農協が米の小売店に売ると、その売上げの一部が生産者にも還元される。米を買った料理店の人が、チャーハンとして客に提供すると、そのチャーハンの代金から生産者に還元される。残った残飯を、ゴミ収集業者が回収して堆肥を作り、それを園芸用に売ると、米の生産者に還元される。園芸に使われた堆肥からトマトが実って、それを市場に出すと、米の生産者にも還元される……。
 ……と、そんなことにはならない。
 しかし、著作権料はそういう無限の連鎖が可能でもある。米と違って、形が変わらないにしても、著作者(生産者)が介在せずに、市場を流れていく過程で課金しようということでは似ている。

 著作権料を受け取れる人たちは、まだ恵まれている。
 アニメの制作現場の末端で働くアニメーターには、そんな恩恵はない。最低賃金の保証もない安い給料で、過酷な労働をするだけなのだ。
 書籍などのデザインをする人間にも、著作権料の恩恵はない。本がどんなにベストセラーになっても、デザイナーには無縁だ。その本が売れるための一端を担っているにも関わらず、蚊帳の外なのだ。
 儲かるのは、著作権料の権利を有する著作者と会社だけだ。

 著作権料ビジネスは、特権ビジネスでもあると思う。
 そういう立場になりたいものだ(^_^)。

(12:37)

2008年05月24日

 アニメやゲームは、なにかと批判されてきた。
 これは今に始まったことではなく、かつて私が子供の頃は、マンガやテレビが青少年に好ましくないと批判されてきた。
 最近では、インターネットに氾濫する情報も批判の対象に加わった。

 なんでもありなのは問題だが、なんでも規制するのも問題だろう。
 線引きは必要だが、線引きの根拠が明確である必要がある。
 しかし、誰がその線引きをするのかで、評価は大きく変わる。
 えてして、線引きは漠然としたイメージで行われ、根拠は曖昧だ。
 そんな記事。
「エロゲーで人間性失う」 規制求め請願 円議員の掲示板に批判数百件 - ITmedia News
 円議員らが提出したのは「美少女アダルトアニメ雑誌とゲームの製造・販売の規制法制定に関する請願」で、「街中に氾濫(はんらん)している美少女アダルトアニメ雑誌やゲームは、小学生の少女をイメージしているものが多く、このようなゲームに誘われた青少年の多くは知らず知らずのうちに心を破壊され、人間性を失っており、既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が起きている」と指摘。「幼い少女たちを危険に晒(さら)す社会をつくり出していることは明らかで、表現の自由以前の問題である。社会倫理を持ち合わせていない企業利潤追求のみのために、幼い少女を危険に晒している商品を規制するため、罰則を伴った法律の制定を急ぐ必要がある」と、罰則をともなう法規制を求めている。

 記事から読み取れることは、「エロゲー=性犯罪」という図式だ。
 議員の発言を全部書いているわけではないから、誤解があるかもしれないが、エロゲーが性犯罪の元凶であるといっていることは間違いないようだ。
 重要なのは、現実にエロゲーが性犯罪を誘発しているかどうかの根拠を示すことだ。
 具体的な数字として、エロゲーをする人間が何人いて、そのうち何人が性犯罪を起こしたという、因果関係を特定することだ。
 記事中に
平成19年に摘発した児童虐待事件は前年比1%増の300件、わいせつな画像を撮影されるなどの児童ポルノ事件の被害に遭った児童(18歳未満)は同20.2%増の304人

 とあるが、そのすべてがエロゲーのユーザーなのか?
 おそらく、エロゲーをしたことのあるユーザーは、数万人〜数十万人はいると思う。(ゲームの販売数の参考資料)そのくらいいないと、エロゲーでも商売にはならないだろう。それに対して、事件数が少なすぎはしないか?
 エロゲーやアダルトアニメが諸悪の根源で、「エロゲーで人間性失う」という論理で語るなら、数万人規模で犯罪が起きていないと理屈に合わない。
 そもそもエロとはなにか?……という基準も問題だ。裸が出てくるだけでエロなのか? 下着が見えたらエロなのか? それを言い出したら、テレビドラマでもエッチなシーンは当たり前のように出てくるし、それらもエロには違いない。
 「エロかわいい」なんていう言葉も流行ったりしたが、倖田來未もエロなのか?

 事件が報道されるとき、それがあたかも社会の風潮であるかのように、誇張された印象で扱われる。最近の若者は……、最近の子供達は……と、数件の似たような事件が発生すると、それがすべての青少年に起きているかのような錯覚に陥る。
 硫化水素自殺にしても、テレビで大きく取り上げなければ、これほど広がることはなかったかもしない。インターネットにその情報があったとしても、そんな情報があることを教えたのはマスメディアだろう。
 つい先日は、農薬のクロロピクリンを使った自殺で、病院の医師や患者が巻き添えになった事件があった。そのときのNHKのニュースでは、使われた農薬を紹介し、どういう効果があるのかと、丁寧に説明していた。
 これでは、自殺や殺害に使えるレシピを教えているようなものだ。模倣犯を助長しているとしか思えない。

 「エロゲーで人間性失う」というのと、似たような記事が他にもある。
世界的に事件や騒ぎを引き起こす『デスノート』、映画が米国で公開 | WIRED VISION
金子監督は、作品をめぐって論争が起きているのは滑稽だと思う、と述べている。

「この映画を観るのを防げば子どもたちが良くなるのなら、なぜ、すべての悪いニュースを見せないようにしないのだろうか?」と金子監督は述べている。

 監督がいうように、滑稽な話だ。
 デスノートよりも過激な殺人の映画はくさるほどあるし、現実の殺人で最たるものは戦争である。
 アメリカはイラクで大量殺人……もはや虐殺といっていいほどの人々を殺している。
asahi.com:イラク死者「推定65万人」 米など研究グループが統計 - イラク情勢特集
03年3月のイラク戦争開戦から今年6月までの紛争によるイラク人の死者数は、約65万5000人に達する

 一握りの異常者による殺人よりも、はるかに異常である。その異常な殺人を、国家が公然と行っているのだ。問題にするべきはフィクションの殺人ではなく、現実の戦争の方だ。

 「エロゲーで人間性失う」
 この言葉は、迷言だ。
 そもそも「人間性」とはなにか?
 エロのない……性欲のない人間が、人間性が優れた人間なのか?
 議員は潔癖性なのだろう。性欲やセックスが汚いものだと思っているのだろうか?
 つきつめていけば、エロゲーが悪い→エロゲーを禁止→エロそのものが悪い→エロをすべて排除→性に興味を持たせるのが悪い→性に関する情報を封印→性欲を持つのが悪い→男女が一緒にいるのが悪い→男女を隔離→男の性欲をなくすために去勢しろ→性欲を司る脳の部位を切除しろ……と、理想の人間性を実現するまで突き進むのか? 脳の一部を切除するロボトミー手術は、かつてアメリカで更正手段として実際に行われていた。
 議員の人間性が、いかほどのものなのか、問いたいところだ。

(09:09)

2008年05月09日

 アニメがらみで「猫」と「記憶」の話。

 先シーズンに放映されていたアニメの、『ef - a tale of memories』

ef - a tale of memories 先日書いた「true tears」と同様に、学園を舞台とした恋愛ものだった。キャラクターの設定で、特異な状況が背景としてあるのも、「true tears」に似ていた。
 また、「true tears」で「絵本」が重要な役割を果たしたように、『ef - a tale of memories』では、作中のキャラクターが書く「小説」が心理的な情景を象徴するものとなっていた。
 こうした「劇中劇」的な手法は、わりとよく使われる。うまく使えば、物語の伏線として効果的になる。
 『ef - a tale of memories』の原作はPCゲームということだが、ゲームの方は18禁のソフトなエロゲーに属する。しかし、アニメの方はエッチな要素は抑えられ、純愛ものに近いストーリー展開だった。

 物語は、2人の少年……紘(ひろ)と蓮治(れんじ)を軸とした、2つの視点から2つの展開がされていく。キャラクターの接点はあるが、2つの物語が同時進行していく形だ。
 その蓮治サイドに登場する少女「千尋」が、この作品のイメージを決定づけているといってもいいだろう。
 千尋は新しい記憶が13時間しか持続しないという設定になっていた。
 半日前の記憶は消えてしまうので、日記帳に記憶を書き留めていた。13時間後にリセットされると、記憶障害になる以前の状態に戻ってしまう。

 半日前、1日前、1週間前に自分がなにをしていたか?……というのは、じつのところ厳密に記憶していることは希だろう。
 記憶は機械的な記録メディアのように、情報を正確に記録しているわけではない。ある手掛かりから関連するイメージを、思い出したときに再構築するのが記憶だ。つまり、思い出すたびにイメージを書き直しているわけで、時間の経過とともに記憶は変化していく。
 人間は「過去」「現在」「未来」という、時間の時系列を認識できるので、記憶を時系列で整理して覚えていられる。
 だが、猫にはそんな能力というか意識はない。
 時系列で考えるというのは、論理的な思考である。猫はそんな思考はしない。
 「猫は三歩歩いたら忘れる」ともいうが、猫たちにも記憶はある。ただ、その記憶に「時間」の概念がないだけだ。

 猫たちの生きる世界は、「現在」だけの世界だろう。
 記憶はあっても、それが「過去」という認識はしていないはずだ。あることを覚えていても、それは現在のその時点での有効な知恵としての記憶であり、過去という引き出しから出してきたものではない。
 昨日のことは覚えていなくても、水がどこにあるか、トイレがどこにあるか、食べ物がどこにあるかはわかる。
 私たちのことは覚えていて、帰宅すれば喜んで迎えてくれる。しかし、昨日いっしょに遊んだことなどは覚えてはいないだろう。猫たちにとって、私たちはいっしょに遊んでくれる相手であり、いっしょに寝る相手であり、ご飯をくれる相手であり……と、過去の経験から学んだ記憶が、今現在の行動に反映されているにすぎない。時系列で整理される記憶ではなく、ごちゃごちゃになった記憶が必要なときに行動を決定をする条件になっている……ということだと思う。

 人は「整理された記憶」によって、人格を形成したり、周囲との関わりを認識する。それは継続される社会性を求めているからだ。
 猫のように生きるのであれば、新しい記憶が13時間しか保たなくても問題はない。
 千尋が記憶が消えてしまうことに絶望を感じてしまうのは、人であるがゆえの社会性を必要としているからだ。

 『ef - a tale of memories』の物語は、救いのある結末で終える。
 千尋の記憶障害が治ることはないかもしれないが、彼女の存在は観た人たちの記憶に鮮明に刻まれることは確かだろう。


(18:04)

2008年05月08日

 連休中は、HDDレコーダーに録りためてあったアニメを観ていた。
 なにしろ録っている作品数が多いので、それだけ観るのにも時間がかかる。たいていは週末に観ているのだが、それでも追いつかずに録ってはいても観られないものが蓄積していく。
 数ヶ月分……つまり1つの作品で8話〜12話分を一気に観ることもある。3カ月分だと、ほぼワンクール分だ。CMは飛ばしてしまうから、正味約25分×12=300分(5時間)くらいだ。
 こういうことができるようになったのも、HDDレコーダーのお陰だ。タイトルリストを番組名で並べ替えて、順番に観ていける。
 一気にまとめて観ることは、作品世界に没頭できるということでいい面もある。

 ちなみに、現在録っている作品リストは以下。●は2008年春の新番組、○は前シーズンからの番組または再放送。

●RD 潜脳調査室
●図書館戦争
●マクロス FRONTIER
●ソウルイーター
●ゴルゴ13
●クリスタル ブレイズ
●コードギアス 反逆のルルーシュ R2
●隠の王
●ドルアーガ
●モノクローム・ファクター
●xxxHOLiC◆継
●我が家のお稲荷さま。
●今日からマ王!
●アリソンとリリア
●ヴァンパイア騎士
●仮面のメイドガイ
●イタズラなKiss
●かのこん
●狂乱家族日記
●紅
●あまつき
●純情ロマンチカ
●S・A 〜スペシャル・エー〜
●D.C.II S.S. 〜ダ・カーポII セカンドシーズン〜
●秘密 〜トップシークレット〜
●To LOVEる
●ネオ アンジェリーク Abyss
○ペルソナ
○BLEACH
○銀魂
○R.O.D -THE TV-
○GUNSLINGER GIRL - IL TEATRINO -

 並べてみたら32本(^_^;
 我ながらよく観てるなー。新番組に関しては、個人的に面白い順になっている。
 なぜ、これだけのアニメを観ているかといえば……
 アニメが好きだというのもあるが、「物語」に飢えているのだ。
 SF、ファンタジー、学園、オカルト、時代劇、恋愛、ハードボイルド、コメディ……etcと、これだけ多岐にわたる作品があるのは、アニメならではだろう。ドラマでは役者が大根だったり脚本が陳腐だったりして白けてしまうことも多いが、アニメはその点ある程度のクオリティはクリアしている。もちろんつまらない作品もあるわけだが、そういう作品は録るリストから脱落する。
 なによりも、「物語」として強烈に魅力的な作品が、毎シーズン2〜3本はある。

 連休中に一気に観て、引き込まれてしまった作品があった。
 最初の2話まで観て、保留にしてあった作品だった。
 それが、『true tears』
true tears vol.1
 放映はとっくに終わっていて、すでにDVDも発売されているのだが、やっと観ることができた。
 学園もので恋愛ものという、シチュエーションとしてはオーソドックスな作品だったが、回を追うごとに物語の深みが増し、キャラクターが生き生きとしていった。
 キャラクターのそれぞれが背負っている過去は、見ようによってはやや非現実的ではあるが、それが物語の必然となっていく過程が素晴らしかった。物語中に登場する「絵本」の話が、話の展開を大きく飛躍させた。思春期の少年少女たちの心の機微を象徴する寓話にもなっていた。
 最終回……
 不覚にも、涙がボロボロとこぼれてきた……
 くそっ!(^_^;;;;;

 春の新番組でも、学園を舞台にした作品は多い。
 学園ものに心ひかれるのは、とっくに学生時代を卒業してしまった郷愁があるからだろう。今現在、中高生である世代よりも、その年頃を過去のこととして記憶している世代の方が、より敏感に共鳴できるように思う。
 自分の思春期の頃は、物語のような劇的な展開はなかったものの、それなりに楽しい思い出もある。「もしも、あのとき」という仮定のドラマを重ねることで、物語に親近感を覚える。
 それは作っているスタッフにとっても同様なのだと思う。
 高校の3年間なんて、たいしたことができるわけではなかった。当時は、楽しいことよりも辛いことの方が多くて、1年が長く感じたものだ。でも、過ぎてしまうとあっという間で、ほんのささやかな記憶が素晴らしいことのように思えてしまう。
 それはたどり着けなかった「夢」であり、「想い」だ。
 俗っぽく「青春」といわれる年頃に、置いてきてしまった数々の欠片が、今になって夜空の星のように輝いている。

 『true tears』は満天の星が降ってきたのだ。

 泣ける物語は、そうそうあるものではない。

(14:05)

2008年04月08日

 4月になり、春の新番組が続々と始まっている。
 アニメに関していえば、新番組が40本もある。
 多すぎだ(^_^;
 とりあえず、第1話はチェックしているが、継続して見ようという気になる作品……つまり、面白そうな作品は少ない。
 個別の作品については、後日書きたいと思うが、傾向として新鮮味に欠け、小粒ぞろいだ。多くは原作付きだが、その原作が古いものであったり、過去の作品の続編だったりする。
 アニメとしてオリジナルの作品は少なく、これは制作側がリスクを避けているためだろう。原作で一定の人気があれば、リスクも少ないという考え方だ。だが、その原作となりうるマンガや小説も少なくなっているという。
 テレビ放映だけで収益を上げるのではなく、のちにDVD化して商品として収益を上げるのが通例だが、これだけ量産すれば市場が飽和してしまうことは自明の理だ。
 また、多くの作品がハイビジョン制作をしているが、ブルーレイ・レコーダーを持っていれば、ハイビジョン画質での録画が可能であり、市販される通常のDVDよりも映像品質が良いものが残せる。コレクターはDVDを買うかもしれないが、映像品質が放映時のハイビジョン画質より劣るDVDを買うことのメリットは少ない。
 DVDからブルーレイへの移行期にある現在は、商品としてのDVDを売りにくい時期でもある。
 新番組の中には、放映と同時進行でネット配信をする作品も出てきた。
 映像的には劣化するが、地方で見られない人や、見逃した人にはいいのかもしれない。

 デジタルメディアのコピー回数を制限する「ダビング10」は、6月から施行される。
 しかし、この方法は、恩恵があるようでユーザーにとっては、あまりメリットのあるものではない。HDDに録画した番組から、直接ブルーレイに書き出すことしかできないため、HDD内から消去するとコピーはできなくなってしまう。
 HDDの容量は限りがあるから、いつまでも残しておくことはできない。ブルーレイに書き出したものから、さらにコピーを取ることはできないので、傷つきやすいブルーレイが損傷したら、どうしようもなくなる。それを見越して、HDDから消去する前にバックアップとして複数枚のコピーを残しておかなくてはいけないことになる。書き込み用ブルーレイ・ディスクが、まだ高価であるため、その出費は痛い。
 デジタルメディアの著作権が、このことに大きく関わっているのだが、無料放送にコピー制限を設けているのは日本だけだそうだ。それは放送局が、既存のビジネスモデルに固執して、守ろうとしているためだという。(詳しくは、小寺信良氏に聞く「ダビング10って、何が問題なんですか?」/ASCII.jp トレンド
 それに関連した記事を以下に。
NIKKEI NET 特集/デジタル社会に求められる新しい著作権とは
米国の著作権法に規定されているフェアユースとは、使用する目的がフェア(公正)であれば、著作物の複製をしてもよいという考え方です(※)。判例は古くからあります。フェアユースをめぐる最も有名な裁判は、日本の家電メーカーがVTRを開発、販売したとき、米国の映画会社が違法な複製録画を助ける装置だとしてその家電メーカーを訴えた、1984年の裁判です。しかし、番組の視聴時間をずらす「タイムシフト」はフェアユースに該当するとして、最高裁は著作権侵害を認めず、家庭用ビデオの違法化を阻止しました。フェアユース自体は、1976年に行なわれた米国著作権法の改正の際に条文化されています。
※米国著作権法第107条。フェアユースに該当するかは、(1)利用の目的と性格、(2)著作物の性質、(3)利用部分の量と重要性、(4)利用が潜在的市場に及ぼす影響、の4要件によって判断される

(中略)

フェアユースがスタートラインだとすると、米国はすでにその先へ進んでいます。コロンビア大学のティム・ウー教授が提唱している、「トレレイテッド・ユース(許容された使用)」という概念です。これは例えば、ユーチューブが持つ高いパブリシティー効果を得るために、ユーチューブに投稿された動画が明らかに著作権侵害であっても、権利者があえて動画の削除を要請せず、黙認する現象を指したものです。

 現状では「トレレイテッド・ユース」の考え方は、日本の放送局は拒絶している。
 番組の冒頭に、注意事項として「ネットに配信することは違法です」というようなことを明記していたりする。

 放送局は、そろそろ無料放送という方法を考え直すべきではないだろうか?
 無料であるがゆえに、視聴率が気になり、視聴率稼ぎのためにねつ造や、各局横並びの番組内容になってしまうのではないだろうか。
 有料放送であるなら、コピー制限を設けるのも納得がいく。ただし、有料放送ならCMはなしにしてほしいけどね。
 有料放送も、番組ごとに購入するかどうかを選べるようにしてほしい。
 デジタルとネット環境を併用すれば、そうした双方向の対処も可能なはずだ。
 そうすれば、現状の視聴率のようにサンプリングとしてのデータではなく、どれだけ売れているかが実数としてわかるようになる。
 著作権を振りかざしてユーザーを悪者扱いするのではなく、コピーフリーにしつつ、収益を上げていくビジネスモデルを構築するのが、次世代のテレビだろう。

 「ダビング10」は、日本国内だけのローカルルールである。
 世界基準という点からいえば、日本のユーザーは著作権者から虐げられ、海外のユーザーが有する権利を剥奪されているということだ。
 そのことは、著作権者が国内ではユーザーの権利を制限し、海外では許容するというダブルスタンダードにもなる。
 著作権を主張するのなら、世界基準で公正・平等であってもらいたい。

(17:40)

2008年03月11日

 下書き状態になっていた記事を復活させよう(^_^;

 マンガとアニメは、日本の文化的輸出品の目玉だともてはやされている。
 過去はそうだったかもしれないが、これからはどうかは疑問だ。

 20年ほど前にアニメ業界の端っこで仕事をしていた者として、過酷なアニメ労働のことはこのブログでも書いた。
 当時は、末端のアニメーターは使い捨てだった。満足に生活できない低賃金と長時間労働で、10人の新人アニメーターを雇っても、半年以内に7割は辞めていた。若い才能を育てるのではなく、使えるだけ使ってポイ捨てだった。いなくなったら補充すればよかったからだ。だから、人の出入りが激しかった。
 アニメ会社のすべてがそうだったわけではないだろうが、下請けのアニメ会社はひどい状況だったのだ。

 では、漫画家はどうだろうか?
 雑誌が行う新人賞に応募して、賞を取るとめでたくデビュー……というのが、多くのパターンだろう。
 これは小説でも同様だ。
 新人賞は雑誌の数だけあるといってもいい。漫画の場合には、年に数回実施しているところもある。
 そこから出てきた新人の数は、年間数十人はいるだろう。
 しかし数年後に、活躍を続けている漫画家の数は少ない。消えてしまう新人がほとんどだからだ。
 漫画家としてデビューすることは簡単でも、漫画家として食べていくことは難しい。
 小説家でもそれは同じで、数ある新人賞でなにがしか賞を取ると、とりあえずデビュー作というのは出版される。しかし、次が続かない。
 作家として食べていくためには、コンスタントに出版しなくては収入にはならないからだ。

 食えない一つの原因は、原稿料が安いことなのだ。
 私はかつて、某マイナーな雑誌(出版社としては有名。アニメ化もされた超ヒット作を出したところでもある)に、16ページの漫画作品を描いたことがある(^_^)
 それは新人賞とかではなく、たまたま編集さんが同人誌での私の作品に目をとめて、描いてみないかと声をかけてくれたのだ。
 かれこれ15年くらい前の話だが、当時の1ページの原稿料は5000円だった。つまり、16ページで8万円である。制作に要した時間はネームの打ち合わせから完成まで、ほぼ2カ月。緻密な絵を描いていたので、作画だけでもかなりの日数を要した。
 フルタイムではなかったから、一概にはいえないが、2カ月・8万円では漫画だけでは食っていけない。
 漫画家として食えるようになるには、連載を持つこと、単行本を定期的に出すことが条件になる。そこまでたどり着く人というのは、必然的に限られてしまう。

 アニメーターや漫画家、小説家の新人の置かれている立場は、きわめて過酷で不遇だ。その苦境を乗り越えた者が、第一線で活躍する人へとのし上がっていく。切磋琢磨するということでは、ある種のフィルターにもなっているが、コンテンツ産業として見た場合には、人材が育たないことになってしまう。

 記事として古いが、参考までに以下を。
墓穴を掘る日本コンテンツ--北米のアニメ・マンガ事情が語るもの:コラム - CNET Japan
 しかし、NYAFの一般公開に先駆けて6日に開催されたビジネスカンファレンスの雰囲気は硬く、かなり深刻な発言が飛び交った。後述するようにmanga(マンガ)が急速に若年層を中心に普及し、一般社会でも認知が高まる中、先行して市場を築いたanime(アニメ)が失速したままだからだ。この状況を指してある大手エンターテインメント流通事業会社の代表から「日本は終わった」「(発祥の地、日本では)mangaも死につつある(ゆえに、米国市場もすぐに落ち込むのではないか)」といった過激な言葉も飛び出し、今後の米国市場の将来を危惧する気持ちがうかがえた。

(中略)

 一般にはあまり知られていないかもしれないが、現在、北米ではmanga旋風が吹き荒れている。comicでも、graphic novelでもなく、manga(いわゆるアメコミとは区分して、日本発の右開きのgraphic novelを特にmangaと呼んでいる)なのだ。

 もう一つ、別の記事から。
「クレヨンしんちゃん」盗作疑惑の背景に見えてくるもの (中国"動漫"新人類):NBonline(日経ビジネス オンライン)
 中国のテレビ局も、また日本のテレビ局も、なぜ高い値段でアニメ放映権を取得する、すなわち高い値段でアニメを購入するということをしないのだろう。私はアニメ界に関しては全く何も知らないので、そのメカニズムはよく分からないが、真にアニメ制作者を保護したいと思うのなら、どう考えても、ここを解決すべきではないのかと思う。

 日中両国とも、もしアニメを重んじるなら、アニメ制作者側の、特に末端関係者の処遇を改善することに重点を置かなければ、両国ともに悪循環を生産していくように思われてならない。

 視点と論点が違うが、日本のコンテンツ産業に対する危機感では共通している。

 その昔、日本の漫画をアメリカで出版を始めた草創期の頃は、アメリカ式にページのめくりを左開きにするため、マンガを左右反転させていた。書き文字も英語に翻訳するため、それ専門の職人がいて、紙焼き(複写して写真のように印画紙に焼きつけたもの)された漫画原稿に手を加えていた。仕事で多少関わっていて、その英語化された書き文字が、見事に絵の中に組み込まれているのに感心したものだ。
 それが現在では、セリフを英語にするだけで、ストレートに出版されるようになっている。ずいぶんと変わったものである。
 海外のマンガ同人誌なども多く、そこに登場している絵は、まさしく「マンガ」になっていて、アメコミではなくなった。
 つまり、描き手が育っているということで、日本産マンガではなく、アメリカ産マンガも登場できるような下地ができていることになる。

 マンガもアニメも、日本独自のコンテンツとはいえなくなる日が、遠からず訪れそうである。
 最近では、日本の高校や大学で、マンガやアニメの学科を作るところも出てきたようだ。それはそれで喜ばしいことではあるが、その学科を卒業したからといって、漫画家やアニメーターとして食べていくことは難しい。20年前に比べれば、多少は待遇改善がされているものの、一般的なサラリーマンに比べたら、格差は歴然としている。そういう状況では、人材は定着しないし育たないだろう。
 前途はけっして明るくないと思う。

(12:41)

2008年02月18日

 賢いユーザーは、早くからブルーレイ vs HD DVDの規格争いの決着は予想できたと思う。
 北米では、HD DVDが優勢な時期もあったが、日本国内では圧倒的にブルーレイが優勢だった。その要因は、国内ではプレーヤーではなくレコーダーが主流で、HD DVDを作るメーカーが東芝1社であるのに対して、ブルーレイはソニーとパナソニックが機器を供給した。
 選択肢のあるブルーレイの方が魅力的であり、名称としてもブルーレイは響きが良かった。HD DVDという名称は、普通のDVDと混同され、次世代というイメージが定着しなかったのだと思う。

 関心は、HD DVDが、いつ撤退するかだった。
 早くに撤退した方が、損失も少なく、売れない機器を作り続けなくてすむ。
 まだ、正式に撤退宣言されているわけではないが、ニュースとしては流れてしまった。
東芝、間もなくHD DVDから撤退か - ITmedia News
 高精細DVDフォーマット戦争は、1つのフォーマットの「死の観察」に変わった。

 東芝は向こう数週間のうちに、HD DVDフォーマットから撤退するとみられている。1月初めにWarner Home Videoが5月以降はソニーのBlu-ray Disc規格のみをサポートすると発表して世を驚かせたのに続き、小売業者の離脱が相次いだのを受けてのことだ。

 かつての、VHS VS ベータの規格が共存していた時代は、ベータが先行していて、コアな映像マニアの高い評価を受けていた。それなりにファンがついていたために、ベータはVHSにシェアを奪われても、しぶとく生き残っていた。
 今回の規格争いでは、映像ファンがつく前に決着がついてしまった。

 規格の統一ということでは、デジタルカメラのメモリも統一してほしいものだ。
 メーカーによって、使えるメモリが違っているため、買い換えや買い足しで、今までのメモリが使えるかどうかが、選択の大きなポイントになっている。
 違うメモリだったりすると、メモリも買い換えなくてはいけないからだ。
 徐々に淘汰されつつはあるが、せめて一眼レフデジカメとコンパクトデジカメの2種類で統一してほしいね。

(14:19)

2008年02月14日

 スター・ウォーズの新作が、フルCGアニメで公開される。
 日本での公開はまだ未定のようだが、アメリカで8月ということは、日本では早くても年末くらいだろうか?
 そのニュース。
Variety Japan | 『スター・ウォーズ』スピンオフ、劇場公開決定!
 『スター・ウォーズ』のスピンオフで、3-Dアニメーション版の“Star Wars: The Clone Wars”が米で8月15日に劇場公開されることが決定した。

 このプロジェクトは、もともと米ケーブル局、カートゥーン・ネットワークで放映された“マイクロシリーズ”「スター・ウォーズ クローン大戦」の延長上の作品。劇場版は上映時間が約100分で、『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』と『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』の間の出来事を描く。アナキン・スカイウォーカーは、まだダース・ベイダーになっていない。

 その後のストーリーは、30分枠のテレビシリーズで放映されていくことになっている。

 本家のスター・ウォーズのサイトには、「クローン・ウォーズ」についてのメイキングと映像の一部が公開されている。
 それを見て思ったこと。

 アナキンをもっと美形にしてくれ!!(^_^;

 どことなくヘイデン・クリステンセンには似せているが、なぜあんなに無骨にしてしまうんだろう?
 日本のアニメだったら、主人公としてありえない設定だね。
 個性的でたくましいといえば、いえなくもないが……。まだ少年の面影が残る青年なのだから、もっと美形でもいいと思うのだが。ヘイデン・クリステンセンはそういう雰囲気だった。
 ともあれ、どういうストーリーが展開されるのかは、楽しみだ。


(16:06)