諫山裕の仕事部屋〈blog〉
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2008年07月04日

 FIFAランキングの7月の発表があった。6月の戦績ということだが。
 順位が入れ替わり、ポイントも加算されているが、先月と比べて実力的にどう変わったのかは、順位とポイント数だけからはわからない。
 等価的な物差しが必要……ということで、6月分引き続き、7月分からまたまた偏差値を算出しておこう(^^)。こういう比較をするときには、偏差値は便利である。

FIFAランキング(2008年7月)による偏差値
ポイント数偏差値国名FIFAランキング
155783.50278537スペイン1
140477.77594601イタリア2
136476.2787331ドイツ3
134475.53012665ブラジル4
129973.84576213オランダ5
129873.8083318アルゼンチン6
128273.20944664クロアチア7
114668.11892276チェコ共和国8
110466.54684921ポルトガル9
105364.63790275フランス10
102363.51499307ロシア11
102163.44013243ルーマニア12
101163.0658292カメルーン13
101063.02839888トルコ14
100362.76638662イングランド15
98862.20493178スコットランド16
93060.03397306ブルガリア17
91159.32279693ギリシャ18
90659.13564532メキシコ19
88558.34960854ガーナ20
87658.01273564イスラエル21
87057.7881537ウルグアイ22
86957.75072338コロンビア23
84256.74010467エジプト24
83256.36580144パラグアイ25
80155.20546144スウェーデン26
80155.20546144ナイジェリア26
79054.79372789コートジボワール28
78654.6440066ウクライナ29
78054.41942466アメリカ合衆国30
77854.34456402ノルウェー31
77354.1574124ポーランド32
75053.29651498北アイルランド33
74553.10936337日本34
74052.92221176セルビア35
72252.24846595デンマーク36
68951.0132653モロッコ37
68951.0132653イラン37
67050.30208917ギニア39
66850.22722852オーストラリア40
66650.15236788アイルランド41
65849.8529253セネガル42
65449.70320401チリ43
65349.66577368フィンランド44
64549.3663311スイス45
63749.06688852ベルギー46
62948.76744594チュニジア47
62448.58029433ホンジュラス48
62348.542864サウジアラビア49
62248.50543368モルドヴァ50
61948.39314271マリ51
59147.34509368ハンガリー52
59047.30766336韓国53
57846.85849948ウェールズ54
56246.25961432ウズベキスタン55
54845.7355898マケドニア56
53645.28642593ベラルーシ57
52644.91212271イラク58
52044.68754077リトアニア59
51144.35066787エクアドル60
50744.20094658ベネズエラ61
50744.20094658アンゴラ61
50344.05122528キプロス63
49643.78921303ブルキナファソ64
48643.4149098スロヴァキア65
48443.34004915ラトヴィア66
48143.22775819南アフリカ67
48143.22775819ペルー67
46642.66630335トーゴ69
46642.66630335パナマ69
46042.44172141ボリビア71
45642.29200012バーレーン72
45242.14227883ザンビア73
44841.99255754ガボン74
44841.99255754ボスニア・ヘルツェゴヴィナ74
44441.84283625コンゴ民主共和国76
44141.73054528カナダ77
43841.61825431キューバ78
43341.4311027コスタリカ79
42841.24395108カタール80
42641.16909044スロヴェニア81
42140.98193883ジンバブエ82
40740.45791431中国83
40340.30819302赤道ギニア84
40040.19590205カーボベルデ諸島85
39740.08361108オマーン86
39640.04618076ルワンダ87
39640.04618076スリナム87
39339.93388979グルジア89
39139.85902915リビア90
38739.70930786ガンビア91
38439.59701689ケニア92
38339.55958656アルジェリア93
37339.18528334北朝鮮94
37339.18528334ジャマイカ94
37239.14785302アルメニア96
37039.07299237ウガンダ97
36939.03556205アイスランド98
36138.73611947ベナン99
35938.66125882アルバニア100

 最終予選で対戦する各国に色づけしてある。
 日本は、51.1→53.1と2ポイント上昇。
 オーストラリアは、51.6→50.2と約1ポイント下降。
 バーレーンは、42.4→42.3と0.1ポイントダウンでほとんど変わらず。
 ウズベキスタンは、45.7→46.3と微増。
 カタールは、40.2→41.2と1ポイントアップ。
 こうやってみると、6月の戦績からチームの勢いが偏差値に出ているように思う。偏差値での比較は、順位や獲得ポイント数よりも実力差やチーム状況を表しているのではないだろうか。

(FIFAランキングのデータを読み替えるというのは、『打ち砕かれた「プライド」』の記事に端を発する)

(03:39)

2008年07月02日

 引き続き、温暖化関連の話題。
 「カーボンオフセット」が流行(?)のようなのだが……。
 なんか胡散臭い。
 古紙リサイクル偽装と似たような、名前だけのエコのような気がするのは私だけだろうか?
[経済] カーボンオフセットが消費にもたらす影響とは? | RxR | R25.jp
カーボンオフセットとは、その商品の製造や輸送中にかかったCO2の排出コストを算出し、クリーンエネルギー事業や植林プロジェクトに投資することで相殺するというもの。環境問題が重要な議題となる7月の北海道洞爺湖サミットを間近に控えていることも、カーボンオフセットが注目を集めている一因と見られている。

 理念は素晴らしいとは思うのだが、その実績を誰が客観的に評価するのか?
 自己申告だけでは信用するしかなく、確かめようがない。

 企業は「CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)」として、「これこれ、これだけ社会的な責任を果たしています」と成果を誇らしげに発表している。その中には、環境問題に関する成果も含まれている。それらを見る限りは、成果を上げているというプラスイメージばかりだ。
 にもかかわらず、日本は京都議定書の目標を達成できそうになく、その帳尻合わせに排出権を大量に買おうとしている。
 多くの企業が削減の成果を発表しているのに、日本全体としては目標を達成できないのは、どこの計算が合わないのか?
 一般家庭からの環境負荷が大きすぎるのか? 
 それとも中小・零細企業が努力していないのか? 
 それともCSR報告がインチキなのか?
 ……それらの因果関係ははっきりしない。

 カーボンオフセットも、都合のいい方便に使われているような気がする。途中経過も結果も目に見えにくいだけに、誤魔化しができてしまうのだ。
 たとえば、カーボンオフセットで植林しているという。
EICネット[環境用語集:「カーボンオフセット」]
日本でも最近カーボンオフセット募金がはじまった。1000円一口(3本のヒノキを1年間育てる)と5000円一口(16本のヒノキを1年間育てる)の2種類である。

 そうした取り組みが大々的にされているのであれば、数万本〜数十万本の植林が実現していても良さそうなものだが、その成果についての具体的な報告は見かけないし、その森がどこにあって、どれだけ植林できたかの証拠となる写真や映像も見かけない。
 カーボンオフセットの募金サイトはあるが、どのくらいの募金が集まって、森がどのくらい増えたかの報告はなかった。それはなぜなのか? まだ始まったばかりだから成果がないのか? そこが曖昧でわからない。

 そのうち、カーボンオフセット偽装なんていう事件が発生しそうな気がする。

(00:02)

2008年07月01日

 世界中の「食」が集まる……といわれる日本の「食事情」は、過去のことになるかもしれない。
 ここにも温暖化問題が絡んでいるが、石油が世界の利権と覇権を左右してきたように、これからの時代は「食糧」が利権と覇権のカードになっていくような情勢だ。
 そんな記事。
食料不足は現実化するか? - 食の未来は大丈夫か? - 日経レストラン ONLINE
2007年から「穀物ナショナリズム」と言うべき農作物の囲い込みが始まり、食糧安全保障を巡る環境は一変した。主要穀物は今や「外貨を稼ぐための輸出商品」ではなく、自国の安全保障と外交パワーを高める「戦略物質」へと変わりつつあるのだ。最近は安全性に対する懸念から中国産を避ける傾向が強まっている。だが当たり前のことであるが、中国は日本に食料を輸出する「義務」など無いのだ。中国との関係がこじれれば自分の国が飢えることに気付かないまま、日本は無謀なケンカを売っているようにも映る。

 日本は「飢える」ということから遠ざかって久しい。
 飽食の時代などといわれ、世界中の食べ物を、お金さえ出せば食べられるようになった。食糧自給率が著しく低下しても、どんどん輸入すればいいという安易な政策から、危機感を感じることもなくなった。
 バターが店頭から消える事態になった最近でも、それほど危機的な状況を認識するには至らなかった。ここでも輸入して埋め合わせるという、対処療法に頼っている。
 食料品の価格がじわじわと上がってきても、買い控えることはするが食べられなくなるという危機感はない。
 スーパーに行くと価格を問わなければ、たいていの食材はそろっているため、食糧危機という実感はわかない。

 食糧の輸入が著しく減ったり、価格がさらに高騰すれば、食糧ショックが訪れる。かつてのオイルショックのように。
 それは石油が不足するよりも、直接的にダメージが大きい。
 まずは、低所得者層が食べられなくなる。家計が苦しいときに、切り詰めやすいのは食費だからだ。そうなれば、貧富の格差はさらに広がる。
 食糧ショック程度ならまだいいかもしれないが、食糧パニックになると、暴動が起きるかもしれない。飢餓の問題も発生するかもしれない。
 工業技術では先進国の日本だが、食糧生産力では著しく劣る。
 戦後の経済発展の過程で、農業や漁業を軽視して工業を優先し、農地や海岸を埋め立てて工場ばかり作ってきた。欧米の食生活を輸入し、米の代わりにパンを、魚の代わりに肉をと誘導してきた。減反政策などで自らの食糧生産力を削っていった。それらの蓄積が今日の食糧自給率の低さになっている。
 時計を戻すことはできないが、かといってすぐに食糧の大増産ができるはずもない。

 地球温暖化問題で日本はリーダーシップを取りたいようだが、食糧パニックが起きてしまったら、温暖化対策なんて呑気なことはいってられないだろう。北朝鮮で飢餓が発生しているとニュースを見ても、あそこは特異な国だから……と対岸の火事の感覚だ。しかし、日本も食糧問題に関しては特異な国なのだ。
 温暖化のシナリオよりも、食糧パニックのシナリオの方が、近い将来に起こりそうな気がするのだが……。

(15:32)

2008年06月30日

 もはや地球温暖化は既成事実になっている。
 将来のシナリオが書かれ、危機感をあおっている。例年と違う気象現象が起きると「温暖化の影響だ」と結論づけるニュースが大半だ。
 異論を唱えることはタブーになり、温暖化防止のための政策や企業努力がもてはやされる。
 温暖化の科学的根拠というのが、強い説得力を持っているわけだが、それはあくまで「予測」であって、天気予報と大差ないレベルではあるのだ。明日の天気予報はかなりあてになるようにはなったが、来月の予報、1つ先の季節の予報、来年の予報……となると、どんどんあてにならなくなる。
 温暖化の予測は、10年後、100年後の予測だ。それが当たる保証、正確である可能性はわからないのではないだろうか。

 温暖化問題で、その真偽を問いかける記事があった。
bp special ECOマネジメント/リポート
地球温暖化対策の実像/ロンドンからの報告
「神話」か? 「真実」か?[前編]
クラウス・チェコ大統領の叫び
「危機に晒されているのは気候変動ではない、自由である」
(中略)
 クラウス大統領は、「地球温暖化は、自然科学というよりも社会科学の問題であり、地球平均気温のコンマ数℃の変動よりも、むしろ人類とその自由についての問題である」として、次のように主張している。

* 気候の小さな変動は、遠大な制限的対策を必要とするものではない。
* 自由と民主主義への抑圧は避けるべきである。
* 人々の行動に枠をはめるよりも、皆が望むように生きることができるようにしよう。
* 科学を政治的テーマとして扱うことに抵抗し、「科学的合意」という表現に反対しよう。それはいつも、声高な少数派によりもたらされるもので、声なき多数派によるものではない。
* 「環境」について語るのではなく、私たち個人の行動のなかで気を配ろう。
* 人間社会の自然な発展を謙虚に確信しよう。発展の合理性を信頼し、(あえて)阻害したり方向を変えたりしないようにしよう。
* 破滅的な予測に怯えず、それが人間生活への不合理な介入を擁護したり促すことのないようにしよう。

(中略)

同大統領は、米国のマイケル・クライトン氏(SF小説などを多く手がける作家)やリチャード・リンゼン教授(米国マサチューセッツ工科大学、気象学を専攻)など、気候変動に疑問を呈する人々の論拠を挙げ、反抗を試みる。

 クライトン氏「人類が直面しているこの最大の挑戦は、幻想からの現実とプロパガンダからの真実という特徴的な挑戦である」

 リンゼン教授「21世紀初期の発展した世界が、地球平均気温のコンマ数℃の上昇に対してヒステリー的なパニックに陥り、非常に不確実なコンピュータ予測と、ありそうもない推論体系による著しく誇張された基盤のもとに、産業発展の後退を考慮するに到ったことを、将来の世代は呆然と驚くだろう」

 人間の活動が環境に影響を与えていることは間違いない。人口が増え続けているだけでも、食べられるものを食い尽くしてしまうだろうからだ。
 問題なのは、温暖化防止という正義のために、食糧危機を加速させ、発展途上国に発展を阻害する足かせをはめ、排出権取引などというビジネスを成立させていることだ。

 特に二酸化炭素の排出権取引は、欺瞞に満ちたものだろう。
 実態の見えない二酸化炭素を取引するなんて、机上の空論だ。どのくらい排出したか、どのくらい抑制したか、といったことは仮定の計算でしかない。数字を偽装することは、食品偽装よりも簡単だ。確かめようがないのだから。
 そもそも「排出権が余っている」ということ自体が矛盾している。余っている国や企業は、排出許容量の設定が多すぎるということなのだから、余らないように設定すればいい。企業努力で減らしたのなら、「我が社は設定は下げてもいい」と申告すれば済む話。余った分を他に回すということ自体がおかしいように思う。
 余った分をどんどん減らしていけば、総量は減る。逆にオーバーしている国や企業には、ペナルティを課せばいいのではないか。総量を減らさずに、帳尻合わせをするという発想は、温暖化対策の本質を疑うようなことだ。

 卑近な例でいえば、タバコの嫌煙派と喫煙派、それに絡むタスポの問題と類似している。
 多数派となった嫌煙派は、喫煙派に対して容赦ない侮辱や制約を加える。
 それと同じ事が、温暖化問題でも繰り広げられているように思う。

 地球の気候に大きな影響を与える太陽の活動が、昨年から縮小期に入っているという。最大の熱源である太陽からの影響が低下すれば、地球の温度は下がると唱える科学者もいる。
 これからの数年で、寒冷化の兆候が現れるとしたら、世の中はどういう反応をするのだろうか?

(17:32)

2008年06月27日

 「FIFAランキングについての考察(みたいなもの)」に続く、その2。

 アジア最終予選の組み合わせが発表され、またまたバーレーンと同組。
 この発表の前から、今回の記事のための図表を作っていたのだが、ちょうどよかった(^^)。

 「FIFAランキングが実力を表していない」と思われるのは、単純に順位だけを実力の絶対値として見てしまうためだ。
 日本が38位で、バーレーンが72位……というと、日本は上の方にいるのに、下の方にいるバーレーンにアウェーで負け、ホームでも辛勝だった……と評価してしまう。

 だが、整然と並んだ順位に落とし穴がある。
 FIFAランキングの獲得ポイントを見ればあきらかだが、各順位間のポイント差は均等ではない。1ポイント差のところもあれば10ポイント以上離れているところもある。
 その差がバラバラでもあるにもかかわらず、順位としては1、2、3……と並んでいく。
 100位までのポイント数から計算すると、各順位間の平均は約12.5ポイントである。
 それが私が分類したCグループでは、1〜5ポイント差で並んでいる。

 そのポイント差が均等ではない順位で比べても、実力差を反映していないのは当然といえば当然。
 そこで、今回はポイント差と順位をある程度同期させて、順位がどのくらいなのかを図にしてみた。
 以下がそれ。(クリックで拡大)
FIFAランキング・ポイント数からの均等化順位

 今回は、ちゃんと見やすいようにillustratorで作図した(^^)。
 左の座標がランキングのポイント数、下がFIFAランキングの順位、そして右に赤で書いているのが「均等化順位」である。
 見たとおりだが、日本は70位くらい、バーレーンは90位くらいにある。
 100位までの中で見ると、日本の実力を表しているように思う。
 この図からいくと、均等化50位が、FIFAランキング18位のブルガリアである。また、FIFAランキング3位のイタリアは均等化すると10位相当になる。
 この均等化順位の前後10位、20位の幅にあるチームは、それほど大きな実力差(実績差)がないと仮定すると、日本がコートジボワールに勝てたことや、バーレーンに負けたことも、納得がいくような気がする。

 さらに、100位までの各国の偏差値を求めてみた。(Excelを使用)
ポイント数偏差値国名FIFAランキング
155980.44523528アルゼンチン1
151378.88338398ブラジル2
142475.86154125イタリア3
130371.75319326スペイン4
127470.76854788ドイツ5
124669.81785579チェコ共和国6
114366.32066701フランス7
113365.98113412ギリシャ8
112365.64160123イングランド9
111165.23416176オランダ10
109464.65695584ポルトガル11
106963.80812361ルーマニア12
104162.85743152カメルーン13
102062.14441245メキシコ14
101762.04255258クロアチア15
98660.99000062ガーナ16
97860.71837431スコットランド17
94959.73372892ブルガリア18
90458.20583091コロンビア19
87757.28909211トルコ20
87457.18723224アメリカ合衆国21
87257.11932566イスラエル22
84856.30444672エジプト23
84656.23654014ロシア24
83855.96491383コートジボワール25
81755.25189476ウルグアイ26
81455.15003489ノルウェー27
80554.84445529ポーランド28
80554.84445529パラグアイ28
79954.64073556スウェーデン30
79154.36910924ウクライナ31
75253.04493097北アイルランド32
75052.97702439デンマーク33
70951.58493954ナイジェリア34
70851.55098625オーストラリア35
69751.17750007フィンランド36
69651.14354678ホンジュラス37
69551.10959349日本38
69451.0756402セルビア39
69050.93982704モロッコ40
67950.56634086ギニア41
67450.39657442アイルランド42
66750.15890139セネガル43
64449.37797574スイス44
63248.97053627韓国45
63048.9026297マリ46
62348.66495667チリ47
60347.98589089イラン48
60047.88403102ベルギー49
59447.68031129チュニジア50
58347.30682511モルドヴァ51
58047.20496524ハンガリー52
57847.13705866ウェールズ53
57346.96729222サウジアラビア54
55646.3900863アンゴラ55
54445.98264683マケドニア56
54045.84683368ベラルーシ57
53745.74497381ウズベキスタン58
53245.57520736エクアドル59
52445.30358105カナダ60
52445.30358105パナマ60
52345.26962776リトアニア62
52145.20172118ベネズエラ63
50344.59056198キプロス64
50344.59056198ペルー64
49444.28498238スロヴァキア66
48744.04730935ボスニア・ヘルツェゴヴィナ67
46943.43615015南アフリカ68
46543.30033699トーゴ69
46243.19847713ラトヴィア70
46243.19847713ザンビア70
43942.41755148バーレーン72
43542.28173832イラク73
42241.84034556赤道ギニア74
41341.53476596コスタリカ75
41041.43290609スロヴェニア76
40841.36499951コンゴ民主共和国77
39240.82174689アルメニア78
38440.55012058中国79
38340.51616729グルジア80
38040.41430742オマーン81
37540.24454097アルバニア82
37340.1766344カタール83
36940.04082124リビア84
36739.97291466アイスランド85
36739.97291466ジンバブエ85
36539.90500808トリニダード・トバゴ87
35639.59942848ニュージーランド88
35039.39570875グアテマラ89
34439.19198901ボリビア90
34439.19198901モザンビーク90
34139.09012914オーストリア92
33939.02222257タイ93
33538.88640941ガボン94
33438.85245612ガンビア95
33438.85245612アラブ首長国連邦95
33238.78454954シリア97
32638.58082981ジャマイカ98
32538.54687652ウガンダ99
32038.37711007ヨルダン100

 受験生には馴染みの偏差値だが、これで見ると、日本が51.1、バーレーンが42.4と、あまり差がないことがわかる。
 均等化順位で50位に相当するブルガリアの偏差値は59.7。偏差値が約60というのが、世界レベルで真ん中よりも上、という見かたもできる。
 受験での偏差値の合格ラインが60前後だったりするので、サッカーの偏差値も60が分かれ目と考えてもいいかもしれない。
 EURO2008でも、決勝に残ったのはドイツとスペインで、いずれも偏差値が60を超えている。準決勝で敗れたトルコとロシアは60に少し足りなかった。結果論ではあるが、たまたま偏差値の高い方が勝ち残ったことになる。

 FIFAランキングも見かたによっては、実力を計るデータになりえるのでは……という考察である(^^)。

(23:53)

2008年06月26日

 下書きのまま、まだ公開していなかった記事がいくつかあった。
 それぞれの記事は「引っかかった」ネタとしてピックアップしていたものだ。それらを並べてみると、傾向というか共通点があることに気がついた。
 個別の問題としては少し違うことなのだが、背景や根底にある感覚がどこか似ている。
 それらをひとつにまとめてみよう。

 まずは、タバコ増税に関する森永氏の記事。
 森永氏の記事はけっこう好きで、名前を見かけると必ず読んでいる。テレビにもよく出演しているが、堅物の論客と論戦していると叩かれたりもしている。柔軟性のある視点はわりと共感できる反面、ときどき飛躍しすぎて批判されたりもするのだが。
たばこ1箱1000円にすれば財政問題は解決するのか / SAFETY JAPAN [森永 卓郎氏] / 日経BP社
 自分のライフスタイルと違うものを認める、つまりマイノリティを大切にするのが、豊かな社会の基本ではないだろうか。もちろん、嫌だと感じるやつがいてもいい。でも、「あいつは嫌いだけど、その存在は否定しない」というのが正しい社会のあり方である。

 だが、そうした発想ができずに、エスノセントリズムを振りかざして、自分こそが社会正義だとばかりの態度を示す人間が、ここにきて増えてきたような気がする。しかも、それに楯突く人間を袋だたきにするという傾向が顕著だ。こうした社会は病んでいるのではないか。

 たまたま、最近ではたばこが排撃の対象とされているが、やがて別のものが対象になることだろう。

 においのする人間を排除する、腹の出ている人間を排除するという動きは、既に本格化しつつある。さらに、例えば鼻毛が伸びている人間を排除する、ファッションセンスの悪い人間を排除するというように向かうのか。そうして、どんどん社会の規制の枠が狭められていくのは本当に幸せなのだろうか。

 この記事の前の方に、国民が皆禁煙したら、寿命が延びて医療費が増える……という仮定はかなり大胆だが、あり得る話だ。
 タバコ増税での試算では、税収が増えるというメリットを強調するために都合のよい面しか考慮に入れていない。実際には森永氏のいうように複合的な影響があるはずだが、それは考えていないのか無視している。そうしたロジックは、軽はずみにネットに犯罪予告をする、浅はかな人間と短絡的な点で同レベルのような気がする。
 マイノリティ(少数派)を排除するという発想と行動は、イジメと同じだ。
 「臭い」とか「汚い」といってイジメる子どもたちが現実にいるように、社会そのものがイジメの構図になっているように思う。
 もはやそれは「イジメ」のレベルというよりは「差別」なのではないか?

 次もタバコ増税に関連したもの。
タスポと車内アナウンスに共通する危うさ / SAFETY JAPAN [花岡 信昭氏] / 日経BP社
たばこ増税構想には、社会から厄介者扱いされて肩身の狭い喫煙派がなにも言えないであろうことを見越した政治的な知恵が働いている。いまや社会的勝者となった嫌煙派の声をバックに、本来は消費税論議をしなくてはならないのを回避して、当面をしのごうとする。その「政治的いやらしさ」を指摘したかった。

 ここでも、「勝者・嫌煙派 vs.敗者・喫煙派」という構図のもとに、趣味嗜好の分野にずかずかと入り込んでくる「管理社会」の危うさがにじんでくる。そこを突きたかったのである。

 論旨としては森永氏と同じだろう。
 格差社会といわれ、勝ち組、負け組というレッテルを貼られている昨今。テレビのバラエティでは、タレントを勝ち組・負け組に分けて対峙させ、負け組を笑いものにする番組が放送されたりする。そういう感覚は、弱いものイジメを助長しているようなものだ。
 テレビからインプットされる情報や風潮に、なんの疑問も持たずに染まってしまう人も少なくないだろう。洗脳とはいわないまでも、感化されているだろうことは想像できる。

 次は労働環境に関する記事を3本続けて。
サマータイムの導入はサラリーマンを苦しめるだけ / SAFETY JAPAN [森永 卓郎氏] / 日経BP社
 もし、どうしてもサマータイムを導入したいというならば、何よりもまず徹底して守るべきことがある。

 それは簡単なことだ。従業員に残業をさせたら、企業は100%残業代を支払うということである。そうすれば、上司は単なる付き合いでの残業を強要できなくなる。

 そもそも、残業をすれば残業代を支払うのは当然のことであって、わざわざここで提言をするのもおかしいくらいだ。その当たり前のことを、当たり前に実行できてはじめて、サマータイムの導入は意味をもってくる。

親、テレビ、誇示、ゲーム感覚、苦境…秋葉原通り魔事件 識者はこう見る(上)(産経新聞) - Yahoo!ニュース
 90年代から急速にこうした派遣業態は増えた。そして、企業側もモラルが崩壊し、「同一労働 差別待遇」という悪しき慣習の中で利益を上げてきた。労働組合もこうした差別的環境で働く派遣労働者を「無視」しており、ある意味企業と共犯だ。行政もこうした実態を知っていながら黙認している。若い人をみんなでいじめている状態だ。経済的に安定している若者が減ると、少子化に拍車がかかるなど弊害は大きい。日本の派遣制度は、世界の恥だ。

秋葉原事件で動く「労働者派遣法改正」に欠落する論点|辻広雅文 プリズム+one|ダイヤモンド・オンライン
 「反貧困」(岩波新書)の著者である湯浅誠氏は、「派遣労働においてもっとも問題なのは、低賃金でも雇用が不安定であることでもなく、労働者が何の発言も抵抗もできずに、ひたすら隷属してしまうことにある。派遣労働者は、工場の前で労働者としての権利、生存権を置き去りにしてから、入る」と言う。

 サービス残業や派遣労働、あるいは最低賃金が保証されないアニメ業界など、厳しい労働環境であっても、それをあえて受け入れざるをえないのは、とりあえず働けるところで働いて日々の生活をなんとかしなければならないからだ。
 表面上は、自分の意思で選択しているということにはなるが、追い詰められたときには贅沢な選択などできなくなってしまう。というより、思考そのものが目先のことにしか及ばなくなってしまう。
 財布の中に千円札が1枚しかないと、
「これで何日食べられるだろうか?」という発想しか出てこない。
 かつて、私がアニメーターだったとき、どん底の貧乏で浮かんでくる思考は、その日になにが食べられるかということが最優先のことであり、明日のこと、来年のこと、10年後のことといった、もっと先のことを考える余力さえなかったのだ。

 「格差」という言葉では、オブラートに包んでいるようだ。
 現代の「階級制度」あるいは「奴隷制度」といったほうがいいような気がする。

 表向きは、すべての国民に自由と平等が保証されている。そのための法律も作られてきた。しかし、実態は格差や排除という名の差別が存在している。
 フランス革命(1789年)以降、自由と平等のための革命や改革、あるいは戦争が繰り広げられてきた。現在でも世界には解消されない差別は残っているが、一定の成果として日本では自由と平等を享受してきた。
 それが民主国家、近代国家の証であるはずだった。
 豊かさを謳歌する時代になり、お金さえあればたいていのことは実現できてしまうようになった。技術の進歩で便利な時代になり、ネットで世界と繋がることも可能になった。市場経済、競争社会、能力主義、勝ち組などと、それらが良いことであると考えられている現在。
 勝ち組に入れる人たちには、快適な社会だろう。差別される側ではなく、意識しないまでも差別する側にいれば、便利で不自由のない社会だからだ。

 建前としての自由と平等の社会にはなったが、格差という新たな差別が生まれている。
 フランス革命前後の時代の階級社会は、明確な棲み分けのある階級社会だった。貴族と平民は完全に切り離されて、人間としての価値すら分けられていた。
 今日の格差階級社会は、明確な線引きがない。高級住宅街や高級マンションといった棲み分けもあるが、普遍的にその場所に居続けることができるわけでもない。高収入や高い地位を、なんらかの理由で失えば、一気に転落することもあるからだ。

 先進諸国が自由と平等の旗印で発展し、豊かになったことは間違いない。
 それがここに来て、自由と平等が煩わしくなったのではないだろうか?
 後期高齢者医療制度や年金の問題、正規雇用者と非正規雇用者の問題、能力主義や成果主義、教育に関わる様々な問題……等々。それらの背景にあるのは自由と平等ではなく、他者といかに差をつけるかといった発想に基づいているように思う。
 世界を見ても、強い国が弱い国や異質な国を攻撃するといった図式になっている。「テロとの戦争」と正義を振りかざしたものの、結果として無関係な一般市民を大量に巻き込んだ戦争になった。名目は自由と平等でも、攻撃を加えた相手の国の人々の自由と平等は尊重しなかった。テロリストを排除するために、周囲にいる無関係の人たちもまとめて排除した。

 格差のない社会……が理想とするならば、それは裕福な人々が自分たちの富を貧しい人たちに配分しなければいけないことを意味する。
 富は無限にあるわけではなく、有限のものだからだ。
 少数の人間が数千万円〜数億円という富を手にすることができるのは、多数の貧しい人たちがいるからだ。
 国内に流通しているお金の総額「広義流動性」の残高1407.3兆円を日本の人口の約1億2000万人で割ると、1172万7500円になる。極端ではあるが、日本国内にある富のパイを均等に配分すると、この額になるということ。それよりも多い年収を得ている人たちは、それよりも少ない人たちから奪っているという考えかたもできる。
 より高収入を目指して能力を高め、必死に頑張る……ということは賞賛されることではあるが、富のパイを多く取ることは、他の人の取り分を奪い取ることでもあるとは気がつかない。
 勝ち組になること、勝ち組であり続けるためには、自由と平等は不必要ともいえる。そのことを理屈ではわからないまでも、感覚的に察しているから、弱者やマイノリティを排除する方向に進んでいる……というのは、極論過ぎるだろうか?

 歴史の中で獲得してきた「自由と平等」や「民主主義」は、市場経済が飽和状態の現在にあって、勝ち組には不都合なものになってきた。
 それが格差社会という、新たな階級社会、差別社会へと退行させることになっているような気がする。
 この流れを止めることはできるだろうか?

 タバコ関係のニュースが配信されると、YAHOO!ニュースのコメント欄に、喫煙者への容赦ない罵詈雑言が書かれる。
 それはまるで、「非国民!」と叫んでいた時代を彷彿とさせる。
 最近は環境問題も、喫煙問題と同じように、過激な攻撃がされるようになった。コンビニの24時間営業をやめさせようとするのも、そのひとつだ。
 世の中が、やばい方向に進んでいるような気がしてならない。

(22:03)

2008年06月25日

 「調査・統計の数字のトリック」や「恣意的な数字が判断を狂わせるときもある」でも書いたことだが、以下のニュースの数字もやや疑問符である。
秋葉原通り魔事件後、17人を摘発補導 7割は定職つかず 警察庁(産経新聞) - Yahoo!ニュース
 東京・秋葉原の無差別殺傷事件後、インターネットの掲示板に何らかの犯罪の予告を書き込む事件が23日現在、全国で17件あり、17人が摘発・補導されていたことが24日、警察庁のまとめで分かった。このうち12人が逮捕、4人が書類送検され、1人が補導された。また警視庁は24日、1人を逮捕した。
 容疑者の7割にあたる12人が定職に就いておらず、このうち7人は20代男。また、17人のうち6人が未成年で、最年少は13歳の男子中学生だった。

 この記事は、「定職についていないから犯罪に走った」と暗に示唆している。深読みすれば、定職についていない若者を批判しているのだ。
 だが、ちょっと待て。
 統計上のことからいえば、第一にサンプル数が17件しかないのは、全体像を推測するにはあまりに少なすぎる。
 第二に、ここでいう定職とは、正規雇用者のことだろうし、派遣やアルバイトは定職ではないという分類なのだろう。そのように明確には書いていないが、おそらくそういう判断だ。
 うがった見方をすれば、「非正規雇用者は定職についているとはいえない」……「それは悪いことだ」……と言いたげだ。

 17人のうち12人が正規雇用ではないということでは、確かに7割が非正規雇用者か無職ということになる。
 だが、統計上のことから考えれば、統計の誤差として「標準誤差率」というのがある。
 サンプル数が17件しかない場合の70%には、標準誤差率が±21.8%あることなる。つまり、48.2〜91.8%の幅がある。(便利な計算スクリプトを提供しているサイト→Sampling Error Chart

 さて、総務省発表の「雇用形態,年齢階級別役員を除く雇用者数」(平成19年)によれば、15〜24歳の非正規雇用者の割合は、46.4%となっている。
 つまり、前述の記事のサンプル数では標準誤差率の下限が、「非正規雇用者の割合は46.4%」に近くなる。また、未成年で学生であれば就業していなくても不思議ではないし、総務省のデータには無職や失業中の数字は含まれていない。

 ようするに「17人を摘発補導 7割は定職つかず」と鬼の首を取ったかのように煽り立てるような結果ではない……ということなのだ。
 ある一点だけの特徴から、結果を誘導しようとする書き方には、作為や偏見を感じる。

(11:45)

2008年06月24日

 私のブログはサッカーブログではないのだが、日本代表戦は欠かさず見ているので、たまにはサッカーの話題を(^^)。

 サッカーW杯3次予選は、なんとか1位通過した。
 先日のバーレーン戦について、いろいろと記事やコラムで書かれていることを読んでいるが、いい評価だったり悪い評価だったりするものの、共通していることは毎度のように言われる決定力不足やこの先大丈夫なのかという不安だろう。

 以下の記事の宇都宮氏の分析には、おおむね賛同するが、気になったのはFIFAランキングについての部分。
スポーツナビ | サッカー|日本代表|打ち砕かれた「プライド」(2/2)
 最新のFIFA(国際サッカー連盟)ランキングによれば、日本はアジア第2位の38位(第1位はオーストラリアで35位)。一方のバーレーンは72位である。ついでにいえば、最終予選に進出した10チームのうち、ランキング最下位は北朝鮮の118位。その北朝鮮に対しても、日本は先の東アジア選手権で1−1で引き分けるのが精いっぱいであった。アジアのライバルたちの実力差を測るのに、FIFAランキングは、ほとんど意味を成していないのが実情だ。

 順位という「数字」に惑わされているような気がした。
 日本が38位でバーレーンが72位というと、ずいぶん差があるような感じになってしまうが、見かたを変えてみたらどうだろうか?

 最新のFIFAランキング(2008年6月)を参考に、その獲得ポイント数に注目して、数値をグラフ化してみた。
FIFAランキングのポイント数分布
(クリックで拡大)


 エクセルで作った簡単なものだが、この図から、大きく3つのグループに分けた。
●Aグループ……1位から6位までの突出した上位グループ。
●Bグループ……7位から33位までの、準上位グループ。
●Cグループ……34位から100位まで。

 A、Bについては、ポイント数の分布が顕著に分かれているという理由から。
 Cについては、やや強引だが、各順位のポイント差が僅差であり、どんぐりの背比べという判断である。
 また、Bグループでは7位と33位のポイント差が393ポイント、Cグループの34位と100位の差が389ポイントとなっており、そのポイント差が近いことからも、グループ分けの材料として適当ではないかと思う。

 日本の位置は赤い印で示しているとおりで、私流の判断ではCグループになる。
 つまり、日本の38位はどんぐりの背比べ状態の集団にいるのであり、順位数が示す数字ほどには、実績として離れてはいないという見かたができるのだ。
 ポイント差がほぼ同等のBグループには27カ国が含まれているが、Cグループには67カ国と2.4倍のチームがいることになる。それだけ僅差だということ。
 順位だけにとらわれていると見えないことが、視点を変えることで日本の位置が違って見えるのではないだろうか?

-----【補足】-----
 もうひとつ書き加えておくと、100位のポイントを下辺、1位のポイントを上辺として、その落差から日本の位置を見ると、真ん中よりも下にあることがわかる。ちょうどBグループあたりが中間である。
 100位までのランキングから見ると、日本のレベルは真ん中よりも下……という、なんとなく現実的なイメージになってくるように思うのだが……。
 いかがだろうか?

(00:48)

2008年06月23日

 前にも面白いとして取り上げた「降旗」氏の記事。
 今回も面白かったのだが……
16:非情のコメントブレイカー(後編) 〜載らない理由と、笑顔の行方:NBonline(日経ビジネス オンライン)
何故なら、このコラムを読んでくすくす笑う人……、がいてくれることを願って書きますが、面白いじゃんと笑える人は、心に余裕があるからだ。

 焦っている人と、心に余裕のある人は、もうその時点で大きく違う。

 私なんぞのコラムにかぎらず、心に余裕がある人は笑えるのだ。まさに笑門来福。だから毎日が楽しくて仕方がない。そして、心に余裕のない人は何もかも気に入らなくて、怒りっぽくなる。それが悪い方向に進むと、ひがみっぽくなって誰かを攻撃したくなるというパターン。

 全文は長いので、リンク先で読んで欲しい。
 面白い記事ではあるのだが、あえて批判的なことを書こう。
 降旗氏は、それを期待しているようでもあるので。

 話題の元となっている読者からのコメントというのは、私はほとんど読むことがない。読者がどういうコメントをしてるかには興味がないからだ。読み方は人それぞれ、共感する人もいれば批判する人もいるだろう。だが、短いコメントで匿名では、その人のバックグランドはわからない。限られた情報から、発言の真意を推し量ることは困難だからだ。
 むしろ、トラックバックでリンクされている方の記事を読む。過去の記事を読んでいけば、書き手がどういう視点や意図で書いているかのバックグランドが見えてくる。そこから、その意見が自分にとって有益であるかの判断ができるように思う。

 ネットの記事を読むのは、それが面白いかどうか、役に立つかどうか、情報として価値があるかどうか、だと思う。
 自分にとって価値のないものだったら、記憶には残らない。なにか引っかかるものがあれば、なにかのときに役立つかもしれない。
 いろいろと読んでいて「引っかかったもの」を、私のブログでは取り上げて、私なりの見解を書いている。
 「書く」という行為を通して、自分の考えを整理し、極めて微力だが意見を発している。日経ビジネス オンラインの読者数に比べれば、私のブログに訪れる人は微々たるものだ。
 少ないながらも読んでくれている人がいるから、読者を意識した書き方をしている。
 具体的に想定している読者は、第一は「妻」
 第二は、近しい友人・知人だ。
 妻は「ブログ更新した?」と聞いてくる。
 「書いたよ」というと、妻は私の書いたものを読んでいる。
 私の書いたものを読めば、今、私がなにに興味を持っていて、どういう考えをしているのかがわかることになる。社会問題なども書いているから、そういうことに疎い彼女へのレクチャーも兼ねている(^_^)。
 個人が情報を発信できる時代にはなったが、技術的に可能になったというだけで、ひとりの人間が発する情報に目を留めてくれる人はほんのわずかだ。そういう意味では、同人誌を発行していた昔(20年くらい前)と大差ない。

 降旗氏の今回の記事は、読者のコメントにコメントする形になっている。
 氏は「反撃」という言葉を使っていたが、読者コメントを批判することで、自らも批判合戦に参戦したような格好になっている。
 この手法そのものが、堂々巡りだと思う。
 完ぺきな理論武装は不可能であり、降旗氏がどんなに言葉を駆使しても、論点に穴が生じる。なにがしかの結論を導き出そうとする議論ではないため、延々と穴のつつきあいになってしまう。
 対等な立場ならまだしも、降旗氏はネット上でのマスメディアの側であり、対する読者は無名の制約された発言しか許されない立場だ。力関係が強者と弱者でもある。
 勝ち負けをいえば、勝者は降旗氏にしかなりえない。

 降旗氏が展開した論戦は、そのまま降旗氏本人にも跳ね返ってしまう。
 今回の「反撃記事」を書いた時点で、降旗氏にも反撃したいという欲求から「心に余裕」がなかったとも読み取れるからだ。
 新聞記事でも、社説で批判合戦をすることがある。端から見ていると、どっちもどっちという感じがするが、当事者にはそういう感覚が麻痺してしまうのだろう。
 いろいろと意図して書かれた記事だというのはわかるが、「策士、策におぼれる」といった面があるようにも思う。

 とはいえ、記事としてはそういう見方もあるということで、面白いものではあった(^_^)。

(15:37)

2008年06月22日

 前日の書き込みにも関連したことなのだが。
 いちおう、グラフィックデザイナーという肩書きで仕事をしているが、じつのところ自分が思っているデザイナーとはほど遠い仕事内容になっている。
 会社の社員という立場もあって、自由度は低いし、裁量権はないに等しい。クライアントや上司の指示に従って、型どおりに作業をすることが大部分だからだ。

 「会社の中のパワーバランス」にも書いたように、私が考える「いいデザイン」とは「オリジナリティ」だと思っている。
 オリジナリティを実現するためには、アイデアはもとより、その制作過程で1から作り上げていく必要がある。それは「生み」の苦しさを伴うものだし、お金と時間もかかることを意味している。
 しかしながら、多くの妥協を余儀なくされるのが実態だ。

 それは業界が違っても、同じなのだなと思った記事。
第28回:オリンピック水着騒動に見た、国際ルールを超えるチカラ:NBonline(日経ビジネス オンライン)
“我々にとっては勝つことが目的だ。しかし、クライアントにとっては問題を解決できるアイデアだ。だったら、100%にすべきじゃないのか?そうでなければ、彼らの気持ちに訴えることはできないんじゃないか”

 みんなの心の中は、「やってみなきゃ分からないだろう」という気持ちと、「そこまでの自信はないなあ」という揺れ動きでした。

“だから、私はすでにクライアントの社長に電話をして延期の了承を頂いた。1週間しかないが、100%を目指して最後まで苦しもう”

 いろんな思いが詰まった空気でしたが、分かったことはたった一つ。目的は、クライアントの問題を解決するアイデア。プレゼンすることではなく、クライアントが喜ぶこと。

 きっと日本人の社長なら、日程を変えてまで、100%を目指せとは言わなかったでしょう。最善を尽くしたとしか。

 しかし、ガイジン社長はそのためならハードなネゴシエーションも辞さない。この違いが、私を驚かせました。目的のためなら、少々のルールは変えさせる。

 こういう会社というか仕事ができるというのは、うらやましい気がする。
 コスト削減は、どこの会社でも必要なことではあるが、最初にコスト削減ありきで仕事を進めていたら、妥協の産物しかできあがらない。
 それは100%の仕事ではないし、オリジナリティもない。

 広告や誌面を構成する要素として、ビジュアルは重要なものだ。そのイメージが大きく左右するといってもいい。
 あるアイデアやコンセプトに基づいて、あるイメージを作り上げるわけだが、その方法はいろいろとある。
  (1)写真を使う
  (2)イラストを使う
  (3)文字要素だけでデザインする
 大きく分けて、この3つ。
 その中で、たとえば写真を使うにしても、
  (A)イメージに合致する写真を新たに撮影する
  (B)イメージに近い既存の写真を使う(レンタル・フォト)
  (C)市販の著作権フリーのCD画像集から探す
 といった方法がある。
 ベストなのは(A)だ。しかし、制作費は高くなる。撮影するとしても、カメラマンは誰を起用するのか、モデルを使うのか、ロケ地はどこなのか、といった条件でかかる費用は桁違いになる。有名カメラマン、有名モデルあるいは芸能人、海外ロケ……などとなれば、数千万円規模の仕事になるかもしれない。
 逆に(C)であれば、CD-ROMの代金が数千円で済んでしまう。
 最高のものを作るのであれば(A)だが、クライアントにそれだけの広告費を出す余裕がなければランクを下げるしかない。
 妥協の始まりだ。

 レンタル・フォトを使うにしても、1点10万円以上するものから2万円のものまで、ランクはいろいろだ。いいものは高いというのが、ここにも当てはまる。
 とはいえ、予算がないということになれば、ランクを落としていくしかない。
 2万円の予算すらないとなると、市販のCD-ROMになってしまう。
 クライアントはなるべく安くていいものが欲しい、という矛盾したことを要求してくる。
 妥協に次ぐ妥協で、最低ラインでの制作費になってしまうと、もはやそこには最高のものもオリジナリティも存在しない。
 それでも仕事として成立してしまうから困ったもの。
 概してこういう仕事が多いのだ。

 低いレベルで低いクオリティの仕事ばかりしていると、最初から無理な発想はしなくなる。どうせ予算はないのだから、ありあわせのCD-ROMで間に合わせよう……という発想にしかならない。
 これではデザイナーとしてのレベルは上がっていかないし、会社としてもビッグプロジェクトを企画して動かす能力は蓄積されない。その結果、低いレベルの仕事だけで満足してしまい、成長が止まってしまう。
 そのことが給与が低いまま……という悪循環になっていくのだろう。
 悲しいかな、それが現実なんだよね。

(16:11)